
副題は「環境から考える新しい進化論」。すでに10年前の本なので、進化というのが強い者が生き残ってきたわけではないというのはもう一般的になっていると思う。なのに、21世紀に入り、ナチスとともに滅んだと思われた社会ダーウィニズムが復活したような感じだ。生存競争は「競争」である以上強い者が勝つと考える弱肉強食の世界。それを是とする経済活動。弱い者が困窮するのは自己責任だと言われ、それで納得させられてしまう社会。勝てば官軍、勝つためには倫理意識など吹っ飛ばしてなんでもあり。
だけど、ちょっと冷静になって考えれば、このまま行けば人類は滅ぶのではないかと感じる人もいることだろう。僕もそう考える一人だ。
この本は地球40億年の生命の歴史をバックに、環境変動のリスクを避ける様々な生物の生存戦略の例をあげながら、生物が環境の変化にどのように対処して生き残ろうとしているかを解説する。環境変動はダーウィンの自然選択説には取り込めていなかった要因だそうである。そして生き残っているのは「強い者」ではなく、環境の変動に対して共同で協力しあった者だと主張する。それを様々な生物の世界を例にし、「共生する者」が進化すると結論づける。当然の帰結として最終章での現在の新自由主義的な社会に対する批判は手厳しい。
同時に北欧の社会民主主義に一つの可能性を見ている点で、僕としてはとても嬉しい。「国民に対する社会保障が厚く、日米の格差社会が生むような、困窮する階層がない。誰も生活苦に見舞われないような社会を維持するために、自由競争をある程度制限し、高い税金を貸して、福祉・環境・医療などの社会保障を充実させている。これらの国々の制度は、協力体制の進化という点では重要で、人類の将来のあるべき方向の一つの可能性を示していると思う。」(p. 209)
生物の40億年に渡る歴史は大量絶滅の歴史だ。一番直近なのが6500万年前の恐竜が絶滅した隕石の衝突とされるけど、過去わかっているだけでも5回の大量絶滅があった。そして現在人類が環境に圧力をかけたことにより生物の大量絶滅の6回目が進行中である。人類だってこのままいつまでも安泰ではないだろう。「社会の中で、ある生物がどんなに相対的に有利になったとしても社会全体が崩壊してしまっては、元も子もない」(p.220〜1)のである。
前にも書いたけど、僕はこのところよく、2〜3万年前のネアンデルタール人の絶滅のことを考える。最後のネアンデルタール人はジブラルタル海峡の洞窟で海を見ながら死滅したと言われる。なんて寂しい風景だろう。現生人類だって、近い将来、そういう日がやってくるのだろう。しかし、それを少しでも遅らせようとするのが僕らの考えるべきことではないだろうか? 共生社会はどうやればできるのだろう?
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