イチローが引退だそうで、そういえば一番最初に見たプロ野球関連の引退セレモニーは村山実でしたっけ。春先の対読売のオープン戦で、江夏や上田、古沢らに騎馬戦のように担がれてマウンドに向かい、フォークボールの連投で三者三振。その後ボロボロ泣きながらインタビューに答えていたのでした。解説の、のちにプロ野球ニュースの司会をして有名になる佐々木信也が、巨人ベンチは三振しろというサインでも出てるんですかね、と言ったのに腹がたったのを記憶してますね。おかげで佐々木信也はプロ野球ニュースの司会者になってからも、いまひとつ好きになれなかった 笑)
もっとも、僕の世代にとって誰でも覚えているのはむしろ長島の方でしょうけどね。僕は大学1年でしたが、実はこちらはその時何してたか、あまりよく覚えてません。リアルタイムでは見てなかったんじゃないかという気がします。ひょっとしたら大学の卓球同好会に入ってたので練習してたかも。
村山実は僕がプロ野球に興味を持った中学生の頃はもう晩年でしたが、格好良かったですねぇ。「悲壮感」という言葉を知ったのも村山のせいだったんじゃないかと思いますし、ザトペック投法なんて言われてて、チェコの長距離ランナーザトペックの名前を覚えたのも村山のせいでしたね。
今とは違って先発したかと思うとリリーフで出てきたりして、江夏なんかもそうでしたが、当時は今のように役割分担が決まってなくて、エース級が無理して勝てる試合にどんどん注ぎ込まれるという感じだったと思います。村山は引退する前の2年ほどを投手兼任監督だったんですね。だから、ピンチになり、監督の村山がマウンドまで行き、先発投手からボールを受け取り、審判に向かって、ピッチャー交代、俺! と合図してたのでした。今じゃ考えられないですね。ただ、兼任監督は稲尾とか野村なんかもやってたし、そんなに変な感じはなかったのでしたが。
で、ちょっと調べてみると、1970年には14勝3敗、完封5で防御率0.98のとんでもない数字を残してますね。この年も村山は兼任監督で、もう少しで優勝できるはずだったシーズンだと思いますが、当時野球を見始めたばかりの僕には、ペナントレースという大きな見方ができてなかったんじゃないかなぁ。記憶にあるのは断片的な事ばかりですね。村山の成績が上記のようなものだったというのはあまりわかってなかったかもしれません。ちなみに防御率0点代は戦後のプロ野球では村山一人だけだそうです。というわけで、イチローの引退のニュースから、なぜか村山実の引退試合を連想したのでした。
***追記(2019、3月23日、11:05)
YouTube にあるかなと思って探してみました。思ったより少ないですね。村山だと長島に打たれた天覧試合と長島から奪った1500奪三振の映像ぐらいしか出てきません。探し方が悪いかもしれないけどね。ヨーロッパのロードレースなんかだとずいぶんたくさん古いのが見つかるのに、日本のプロ野球は1970年より前の映像はあまり残ってないのでしょうかね?? で引退のシーンが映っていたのがこれでしたので貼っておきます。ついでに本文もいくらか書き足しました。
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