東京は中野の東京都生協連会館で「ナチスドイツによる障害者虐殺『T4作戦』パネル展示&トークセッション」というのが今日明日と行われています。
T4作戦については拙ブログでもなんどか書いたことがありました。今は絶版だけど、「灰色のバスがやってきたーナチ・ドイツの隠された障害者「安楽死」措置」という小説も20世紀に読んだことがあります。だからこのT4作戦についてはドイツでも有名な話なのだろうと思っていました。だけど実はこの事件について正式にドイツ精神医学精神療法神経学会がこれを認めて謝罪したのは2010年になってからだったそうです。
ナチスは政権を取った翌年の1934年から精神障害者や知的障害者の断種手術を始めます。そうした障害は遺伝的欠陥であると考えられた結果、40万人が断種させられたそうです。まず保険担当の役人や障害者施設所長による強制断種の要請があり、それに基づき判事が裁判所でそれを承認し、それに従い医師が手術を実行したわけです。
戦争が始まった1939年後半からは病気や障害のある人の登録が義務付けられ、40年からはT4というコードネームがつけられた障害者安楽死政策が開始されることになります。これは第三帝国秘密事業と称され、ヒトラーの命令書に従って内務省と法務省も関与します。この作成によって殺害された人数は20万と言われてきましたが、最近の研究では40万とか50万という数字も出ているそうです。
当然ナチスドイツの時代に一般人がそれに対して抗議することはできなかったでしょうが、カトリック教会がこれに反対の声をあげ、41年夏にはフォン・ガレン枢機卿(ローマ法王に次ぐ位階)が説教の中で障害者の安楽死を殺戮と明言し、これが直接的な引き金となってT4作戦は中止されます。
しかし中止された後も障害者の安楽死は密かに続けられ、医師や看護師たちによって飢餓殺や薬殺により、中止以後の犠牲者の数はT4作戦が実行された期間の数を上回るそうです。
そして戦後、この計画のトップの責任者は死刑になったものの、直接的に関与した医師や看護師たち、研究者たちはほとんど罪に問われることもなくその地位を継続し、天寿を全うします。そしてもっと残念なことに強制断種された犠牲者たちや安楽死させられた犠牲者たちの家族もこのことに口をつぐみました。
これらの被害者がナチの迫害の犠牲者であると認知されたのは1980年代に入ってのことでした。
パネル展示には被害者たちの写真や家族写真などがあって胸が痛みますが、一番見ていて辛かったのは、安楽死させられた障害者の家族への通知のところでした。障害者たちを安楽死させた事務官たちは、犠牲者の家族に「お悔やみの手紙」を出します。それぞれ一通一通違うものに見えるように装って、偽りの死因や死亡時の場所や日時、状況、死亡証明書と医師のサインなどを何万通もの通知を出します。彼らはどんな思いでそれらの通知を作成したのでしょう?

もちろん殺された障害者の痛ましさはいうまでもありません。でも僕らはここで、「この悪党どもはなんとひどいことをしたのか!」と怒るのではなく、「私だって同じ立場に立たされたら同じことをしただろう」と恥るべきなんだと思います。
同じようなことはナチスのユダヤ人虐殺は無論のこと、南京大虐殺だって同じでしょう。同じ立場に立たされたら、ほとんどの人間は彼らと同じことをします。もし私があの時代の精神神経科の医師だったら、強制収容所の看守だったら、南京に送られた日本軍兵士だったら、間違いなく同じことをしたでしょう。だから、そういうことをしないで済む社会にしなければならない。まあ、これは拙ブログでもなんども言ってきたことですが 苦笑)
会場では
拙ブログでも以前書いたT4作戦に関するNHKの番組が流され、その後でその番組に出演されたきょうされん専務理事の藤井克徳さんが話をされました。その時に会場の質問者の方が日本の精神神経学会も戦時中もそうだし戦後も優生保護法のような悪法について反省すべきだし、それを働きかけるべきではないのか、という話をされました。

ナチスがやった悪は日本の比ではない。それは間違い無いでしょう。犠牲者の数、その理念性、組織性、徹底性、どれを取ってもものすごい。だけど、それに対する反省の表し方の誠実さも日本とは比べ物にならないのではないでしょうか?
よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト
trackbackURL:http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/tb.php/3377-11488dd2