この小説、落選はしたけど今回の直木賞の候補だったのね。うーん、この本、昨日読み終わりましたが、ここに書くかどうか迷ったんですよねぇ。つまり、最初のうちはかなり面白い。ものすごく調べてあって、当時のベルリンが臨場感豊かに描き出されていると思ったんだけどね。ところがだんだん、ムリムリな感じが強くなってくる。そして最後に至っては、正直言ってなんかなぁ、と思ってしまったのでした。それと結末を知ってしまってから、もう一度最初のポイントとなるシーンを読み直すと、やっぱりちょっと整合性が取れないんじゃないかなぁ。というわけで、本来拙ブログで映画や本の話を書くときには「お勧めします」のスタンスで書いてて、決してクサしたりしないつもりでいるんだけど、今回は批判的なことをたくさん書きます 笑)
舞台装置は僕の最近の興味の中心、終戦直後のベルリンで、作者もものすごく勉強して、資料を読み込んでいるんだろうと思うんだけど、だんだんそうして仕入れた知識のウンチクがうるさくなってくる。どこかの書評にドイツ人が書いたものを翻訳したようだとあったのを読んだが、うーん、全くそうは思えない。例えば、自分の旦那を「ドイツ人としては珍しく云々」なんていう言い方をするかなぁ? 僕の頭の中では主役の少女は今の日本人の高校生のイメージだった。
そして、敗戦後2、3ヶ月の時点の知識としては、17歳の少女がユダヤ人がアウシュヴィッツで殺されたとか、障害者たちが安楽死させられていたということは知らないだろうと思うのだが。。。さらには最後の方でロマの少年が言うパレスチナ人を迫害するシオニズム批判も、ちょっと後知恵っぽい。
そう、この小説は詰め込みすぎだという印象も強い。現実にはただでさえ重たいエピソードが目白押しなのに、それを全部入れ込むのはわざとらしさ、作り物らしさが強調されてしまうような気がする。特に過去に拙ブログでも触れたことが随分詰め込まれている。試しにリンクも貼っておく。
例えば、ユダヤ人共同体での裏切り行為の話や
障害者安楽死政策、いわゆるT4作戦、去勢されたロマの少年や「治療」させられた同性愛の少年、
全盲のユダヤ人たちを雇って救おうとした自らも全盲のオットー・ヴァイトの話も出てくるし、
戦後アデナウアーの片腕となり批判を浴びたナチのグロプケのユダヤ人改名リストまで出てくる。最後の方では
「ベルリンに一人死す」のモデルのハンペル夫妻のビラまで出てきた。
小説の内容は、主人公の17歳の少女がソ連軍の依頼でポツダムへ行かなければならなくなるんだけど、彼女に同行するのが「ユダヤ人」の元俳優。彼ら二人がハラハラするようないろんな目に遭いながら、果たして目的地に着いたらどうなるのか、という話が、少女の一人称で書かれ、その合間に主人公の少女が生まれた1928年からこの小説の始まる直前までを三人称の文体で書いた「幕間」と題された話が挟まる。
僕が面白いと思ったのは圧倒的にこの「幕間」の部分だった。これはちょうどナチスが台頭していく時代だが、これは現代日本の社会とも重なるような恐ろしさおぞましさを感じさせられた。例えばこんな文章はどうだろう? 国の名前を変えたら、こんなことを言っている奴って現在の日本にもたくさんいそうだ。
「軍備を整えるのは平和維持に役立つからね。一度も争わずに領土を取り戻せるのもそのおかげさ。フランスやイギリスだって恐れをなしてるじゃないか。総統は全くすごい御方だよ」(p.203ー4)
というわけで、ムリムリミステリーの謎解きじみた結構にする必要があるのかなぁ、と言うのが正直な感想。そういえば同じような感想をこの作者の前作?
「戦場のコックたち」でも感じたのでした。今回はリンクだらけ 苦笑)
***追記***
やっぱり言ってしまいます。この小説の時代設定に興味があるのでしたら、本の最後に参考文献として載っているハンス・ファラダの「ベルリンに一人死す」をお勧めします。こちらの方がずっと面白いし圧倒されるし、小説としての作りも上だと思います。
***追記 2(1/26)***
昨晩の東京新聞に直木賞選考の経緯が書かれていて、やはりそこでもミステリー仕立ては不要だという選考委員の話が出てました。そうだよね〜。 笑)
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