

昨日15日は、吉祥寺に14日にオープンしたばかりのアップリンク吉祥寺、そこで表題のドキュメンタリー映画をやるというので見てきました。パルコの地下にあるおしゃれなシネコンです。
この映画は吉祥寺のアップリンクでは12月20日までで、21日から28日まで渋谷のアップリンクで上映されるそうですので、興味がある方はお間違えなきように。
映画はフクシマの原発事故後3ヶ月で原発ゼロを宣言しとドイツと、まだ事故が収束する前から原発再稼働を始める日本との違いを知りたいと考えた監督の坂田雅子氏が、ドイツ各地で取材したドキュメンタリーです。歴史を遡りながら、ドイツで常に底流にあった自然保護や反原発意識が徐々に高まりついには政府を動かすことになるのがわかります。また、各地での大企業に頼らない、小規模な自然エネルギーによる電力の供給体制も、具体的に紹介されます。
以下、自分の覚え書きのために書きますので 笑)
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冒頭メルケルが2011年6月に脱原発を宣言する議会演説のシーンから始まる。僕は自己紹介でも書いたように北欧の社会民主主義に憧れていたから、保守のメルケルに対する気持ちはあまりポジティブなものではなかったが、ここで一気にメルケルすごい!と思ったものだった。
上映後の監督とゲストの孫埼亮氏との対談でも指摘されていたし、映画の中でも語られるが、まずメルケルが脱原発を決断した最大の理由は直前の反原発デモと州議会選挙でメルケルの保守党が戦後初めて破れたことだったらしい。つまり民意が彼女を動かしたわけである。
しかし、この映画はもっと時代を遡っていく。まず、ドイツはチェルノブイリ事故の前にすでに一度ヴィールという町で原発が建設されそうになった時、住民の反対運動によって建設中止になっていた。すでにその少し前から環境保護だけを訴えた緑の党が注目を浴びつつあったことも影響したのだろう。
だけど、さらに時代を遡ると1968年の学生運動の影響もあったという。この運動は世界的に学生の反乱と言われたものだけどドイツに限れば、ナチスだった親世代に対する反抗という面もあった。
ドイツも日本と同様に戦後すぐに戦時中のことを反省したわけではない。日本で言えば吉田茂のような役割を果たしたアデナウアーの側近がナチだったことは、
拙ブログで紹介した映画「検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男」にも出てくるし、戦後の司法関係者がナチの民族裁判所でひどい判決を繰り返していた連中だったことや、同様に精神医学関係でも、悪名高い障害者安楽死計画T4作戦に加担していた者が多数いたこともわかってきている。そうした戦後の体制に否を突きつけたのが1968年の学生運動だったようだ。ここで人々は政治に関与することの重要性に気がつく。
登場する人が言う、「政治に関与しないことが間違いだと気づくのに何年もかかった。自分で考えて行動し、世界への責任を持つまでにはさらに時間がかかった」。
あるいは自然エネルギーで経営されたホテルのオーナーはこんなことを言う、「ここの施設にはベンツ1台分ほどのコストがかかりました。僕はベンツ1台買うよりもこっちの方がいいんですよ。いい気分でよく眠れるんです」。
そうした市民の意識の結果がメルケルの脱原発宣言に行き着いたことを、このドキュメンタリーは示している。だけど、上映後の孫埼氏の話はさらに踏み込んで、日独の戦争の終わり方の違いを強調していた。つまりドイツの場合は米英仏ソの四カ国に分割占領されたことで、ドイツという国のアイデンティティを、国民が自ずと考えざるを得なかったのに対して、日本の場合はアメリカの占領の元、アメリカのいいなりになっていればよかった。
サンフランシスコ講和条約で日本が独立した後もその姿勢は結局変わらず、アメリカのいいなりになり続けている。誰かのいいなりになっているのは楽なことである。考えなくて済むのだから。自分の火の粉が降りかかるまでは見て見ぬ振り、というのは今の沖縄のことを考えればよくわかる。
結局この映画を見て思ったのは、確かに意識の高い市民たちが立ち上がれば社会は変えられるのだろうけど、日本でそれが果たして可能だろうか、という諦めに近い気持ちだった。
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