1985年8月12日の夕方、僕は家族旅行から帰る途中で父の運転する車で高速道路を走っている時に、ラジオでニュースを聞いたことを覚えている。旅行先が日光だったので、後からあの時走っていた場所からそう遠くないところで墜落したんだなぁ、と思ったりした。
ずっと話題になっていた青山透子著「日航123便墜落の新事実、目撃証言から真相に迫る」を読んだ。
図書館で借りたんだけど、予約したのは初夏だったのに、80人待ち状態で、やっと順番になった。
当初ネット上に氾濫している陰謀論の一種なんじゃないかと思ったりもしたんだけど、目撃証言がこれだけ集まると、そして何よりアメリカ側からの情報も出てくると、むしろ最後にぼんやりと暗示されているいくつかの事故原因以外の原因は考えにくい。だとすれば事故ではなく事件だ。
いろんな疑問があるがまず、墜落前に、公式には認めていない自衛隊のファントム2機が墜落することになる123便の後を追いかけていたのはなぜか?(これは目撃者が多数いる)
それと、墜落後20分で米軍機は墜落現場を目視し、2時間後には海兵隊が現場へ着陸を試みているのに、突然帰還命令が出され、その後日本の自衛隊も機動隊も、そして何よりマスコミも、捜索場所を特定できず(と言い張って)、翌朝まで救助に取りかかることができなかったのか?
しかもその間、夜間に現場付近でいくつものヘリコプターが活動していたという目撃証言もある。その間に人命救助よりも、何かの隠蔽を優先させたのではないのか?
これ以外にも赤い形状のものとか、現場に漂っていたガソリンとタールの匂いはジェット燃料ではないこと、遺体の完全な炭化は揮発性の高いジェット燃料ではあり得ないこと、横田飛行場へ向かったのに反転したのはなぜか、その間のボイスレコーダーも完全に公表されてはいないのはなぜなのか、さらに隔壁破損が原因とする説がまずアメリカから出たことや、その証拠たる隔壁が現場検証前に裁断されてしまったことなど、いろんな謎が挙げられる。
誰でも推測するようにミサイルの誤射、あるいは自衛隊が訓練用の目標としていた飛行機との衝突、など人為的なことが原因だとしても、問題はその後だ。それを隠蔽するために救助活動が遅れたのだとしたら、これは国家、あるいは自衛隊による犯罪である。
何よりも、一番怪しいのは運輸安全委員会がすでに自己調査は終了しているので、これ以上新たな証拠物が出ても再調査することはないと言っていること。
極端に悪く勘ぐればいくらでも勘ぐれるだろうし、そこまで極端でなくとも、昨今の様々な隠蔽事件を見れば、国家は必ず嘘をつくという堤未果の署名を連想したりするのは自然なことだろう。
今年に入ってさらに続編が出ているようなので、またまた図書館で予約したところである。
……追記 2018,12,09, 14:45……
65ページに出てくる中曽根の言葉「実際、静岡に落ちたとか、群馬に落ちたとか、情報が随分迷走していました。米軍もレーダーで監視していたから、当然事故については知っていました。あの時は官邸から米軍に連絡は取らなかった。しかし、おそらく防衛庁と米軍でやりとりがあったのだろう」をもう一度この本を読み終わって、あらためて見てみると、この男の「そらっとぼけ」ぶりがよくわかる。情報の迷走は意図的なものだったし、米軍の情報が上がってこないはずはない。最初に読んだときはこの部分、文字通りシビリアンコントロールが全くできていないじゃないか、という指摘だけだと思ったのだが、無論それもあるが、それ以上に、中曽根は何かを知っていて、そらっとぼけているのである。この言葉からそれがよくわかる。

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