
写真はだいぶ昔オークションで手に入れた戦前の写真スポーツ週刊誌のうちの一冊です。1937年7月27日号とあります。スポーツ雑誌と言っても8割以上は自転車です。ル・ミロワール・デュ・スポールをググってみると、1920年に創刊されて名前を変えながら1968年まで続いたとあります。
ミロワールという題名が紛らわしいんですが、フランスでは他にミロワール・スプリントというフランス共産党系のスポーツ週刊誌もあって、こちらは1946年から71年まで続き、また、日本では一番有名なミロワール・ドュ・シクリスムは1960年から94年まで出ていました。
で、表題の1937年の雑誌が扱っているのがこの年のツール・ド・フランス。表紙の下半分がちぎれて無くなってるので残念ですが、顔だけははっきり、この年のツールの覇者ロジェ・ラペビーです。(1948年のツールを扱った「俺たちはみんな神さまだった」で出てくるギイ・ラペビーは彼の弟です。)
この年はツール史上特別な年でもあります。史上初めて変速機の使用が許された年です。ツールの創始者とされる初代総合ディレクターのデグランジュは、人が機械に使われてはならないと言って、ずっと変速機の使用を認めなかったんですね。それがとうとう解禁になったわけです。当時のカンパの変速機は走りながらクイックシャフトに直結しているレバーでシャフトを緩めて、同時にチェーンを押すシャフトも切り替え、ペダルを逆転させてチェーンを掛け替え、再びクイックシャフトを閉めるというアクロバットみたいなもの。ギアを掛け替えた時のチェーンのたるみはギザギザのついたエンドの中をホイールが勝手に移動するわけ。このYouTubeでみると感動ものです。(ただし、以下の二つの変速機は37年当時のものではなく、もう少し後の戦後のものだと思われます。でも理屈は同じだったんだろう思います。
以下2018年11/23 追記。この次の記事で書いたように、この時代の変速機はやはりこのタイプとは違っていて、特にラペビーが使っていたシュペール・シャンピオンというのはペダルを逆回転させる必要がなかったようです。詳しくはこの次の「1937年、ラペビーの変速機」をお読みいただけると幸いです。)
変速の状態がわかりやすいのはむしろこちらですかね。
ここではペダルを逆回転させて色々チェンジしてますが、ハブがエンドの中を前後に勝手にずれていくのがよくわかります。最後にクイックシャフトを占めて固定。
さてこの1937年はもう一つ、バルタリのツールデビューの年としても有名です。アルプスに入るやステージ優勝とマイヨ・ジョーヌを獲得、このまま突っ走ってもおかしくなかったんですが、次のステージの下りで橋から小川に転落。大きく遅れ、しかもびしょ濡れ状態で降ったのが原因で、その後ひどい気管支炎になってリタイアしてしまいます。これがなければ、おそらくバルタリがツールでも総合優勝し、その前のジロでも勝っていたから史上初のダブルツールの栄誉に輝いたのではないかと言われていますが。。。
さてその後も事件が起きます。バルタリに変わって総合トップになったのが前年の覇者シルフェーレ・マース。
以前ここでも紹介した映画「ルシアンの青春」で元自転車のチャンピオンが語る話の中で、バルタリより怖かったと言われている選手ですね。
このマースに対し3分前後の差で追うのがこの雑誌の表紙のラペビーです。ラペビーは(まあ、私が読んだ本では 笑)山岳では車に捕まったりファンに押してもらったりしてたようですが、とうとうそれがバレて1分半のペナルティを喰ったりしてます。
さらにフランスのファンはマースをはじめとするベルギー選手たちに派手なブーイング(ぐらいならいいんですが、トマトを投げつけるようなファンまで出たと書かれてます)、果てはパンクで遅れたマースの集団がラペビーの先頭集団を追走中には、電車も来ないのに遮断機が降ろされるということまで起きたそうです(あくまで私が読んだ本ね 笑)。
結局マースをはじめとするベルギーナショナルチーム全員が身の危険を感じてレースをボイコット。パリまであと4日という16ステージ終了時のことでした。そして、ここにロジェ・ラペビーの総合優勝が決まったのでした。
ところで、このラペビー、1988年に30分程度の「行け、ラペビー」という題名の短編映画が作られています。日本では2009年に東京のエルメスのスタジオで上映されました。私も見に行きましたが、当時すでに80近い老ラペビーがニコニコしながらロードにまたがり颯爽と走っている姿をメインにインタビューがなされていたのだと記憶しているんですが、正直にいうとエルメスなんてものすごい場違いなところで汚いジーパン姿で見に言ったので、そのことばかり記憶にあって、あまりはっきり覚えてません 苦笑)

これがその時の招待状です。裏はこんなです。ちょっと薄い文字ですが、左下に上映した映画一覧が出ています。

他にもツール関係の映画を、しかもルイ・マル(上記の「ルシアンの青春」の監督)の「ツール・ド・フランス万歳!」という短編もやったんですねぇ。すっかり忘れてます。「白い恋人たち」でグルノーブルオリンピックの記録映画を作ったクロード・ルルーシュの短編も! これもすっかり忘れてます。拙ブログを始めたのが2010年からなので、その前のことはメモってないのが残念。そういう意味で、見たり読んだりして感動した映画や本などをメモっておけるブログって日記がわりになるんですね。

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