例によってスカパーのシネフィル・イマジカで観た。
ながらく国内では未発売だったDVDも、こんど新しく発売されたらしい。このカバー絵はちょっと悲しいが(なんでピンクやねん (-_-#)。しかしアマゾンのレヴュにはあっというまに28人の書き込みがある 笑)
この映画を最初に見たのは故淀川長治が解説だった日曜洋画劇場。高校2年生の頃。たぶんTVの時間枠内だからかなりカットがあったと思うけど、ムチャクチャ心が痛んだ。とはいえ、今と違ってまだ過去の蓄積量が違っていたから、そう簡単に涙は出なかったが。しかし、いずれにしても、数日間寝ても覚めてもラストのパトリシア・ゴッジの泣き顔が頭を離れなかった。その後もTVで何度も見た。さらにこのパトリシア・ゴッジの出演したもう一本の映画「かもめの城」もTVで見た。こちらもむちゃくちゃ心が痛む映画だった(さすがにこちらはDVDにはなってませんね)。
クリスマスになると、「シベール」の後半で流れるシャルパンティエの「真夜中のミサ」のレコード(!)を必ず掛けた。30年ほど前には有楽町のスバル座でリバイバルがあった。2,3回通った。しかし当時の「ぴあ」の解説には「元祖ロリコン映画」と書かれていて、そのまま映画の中のカルロスの女房や、警察に届けてしまう医者のようなコメントで、アホかっ!!、と腹がたった覚えがある。

今回久しぶりに見直してみて、さすがにパトリシア・ゴッジの姿に胸ひしがれる思いは、若い頃ほど強くはなかったが、やっぱりうまくできた「悲劇」だと思った。監督のセルジュ・ブールギニョンはこの一作だけで名を残した人のようで、ある意味でこの一作で才能のすべてを使い果たしたんだろうなぁ。
おそらく映画が目指したのは日本画的というか水墨画的な映像なのだろうと思う。夜の車のライトの効果をはじめ、真っ暗ななかで黒と白だけの、コントラストの強い画面や、水面にうつったヴィル・ダヴレーの森の風景もそうだし、なにより最初のほうで長谷川等伯のコピー?が出てきたり、北斎という言葉が出てくることもその暗示だろうと思う。教会の塔からの俯瞰が風見鶏のアップで終わるシーンも、距離感と奥行きを強調した北斎の雰囲気がある、と言ったら牽強付会だろうか。さらに言えば、あの音数のすくない低弦のピッチカートのテーマ音楽も水墨画的である。むろん浮世絵の色彩感と水墨画はまったく違うと言えば、そうなのだが。。。。
それ以外にも、あちこちで非常に技巧を凝らした映画で、また今回気づいたが12歳の少女の演技を当てにするにはちょっと長すぎないかい、っていうような長いカットも多いし、シャッターの穴を利用したり、車のバックミラーを使ったり、暖炉の炎の奥から写したり、ハッとするようなおもしろいシーンもたくさんある。
それと、今回見て思ったのだが、最後に風見鶏を取りに行ったピエールは、いつもの目眩を感じない。つまり彼の記憶喪失は治りかけているのではないか。そうだとすると、いずれにせよ、もうすぐシベールとの交流も終わりだったのかもしれない。
それはともかく、むかし、この映画のカメラマン、アンリ・ドカエ(
以前書いた「海の沈黙」のカメラマン)のインタビューで、この映画はフランスでは耽美的すぎて不評だったという話をしているのを読んだことがあったが、たしかにやり過ぎという気もしないでもない。
ただ、当時おセンチな高校生だったぼくがこの映画に惹かれたのは、単に主演の少女の可憐さ、はかなさ、かわいらしさだけではなく、こうした普通の映画とはまったく違う例外的な雰囲気も大きく影響したのだろう。普段は悪役ドイツ軍の役が多かったハーディ・クリューガーの純真な記憶喪失の男も、彼を熱烈に愛するニコル・クールセル(この人は「ラインの架橋」でもドイツ兵と通じる悲劇的な女性の役をやってたっけ)も、そしてなによりヴィル・ダヴレーの街と森の雰囲気も、すべてが、月並みだけど、すばらしいとしか言いようがない。テーマも登場人物たちも街や森や湖の風景もすべてが透明感があって、まちがいなく映画史に残る古典的悲劇だと思うんだが、今の若い人たちが観たらどう思うんだろうなぁ。。。
なお、このヴィル・ダヴレーの街は、バルビゾン派の画家コローの根城だったようですが、ツール・ド・フランスにも因縁がある地で、ツールの最終ゴールは現在ではシャンゼリゼ大通りですが、大昔にはこのヴィル・ダヴレーがゴールになったことがあるんです。そういえば、この映画のなかにも、若者たちがロード(?)で坂を登るシーンがあります。まあ、あまり関係ないだろうけど。
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