Arturo
アンコウ様まあ個人の思い入れも含むにせよ、この二人の比較では、圧倒的に、アルマンの方が上になりますね。
まあ、変わった苗字かと思いきや、彼は完全に西系の家系(両親)なので、まあ、スペイン風に読むのが妥当かな?(本人自身も含む)まあ、当時の日本メディアの記事は、ドラクーバみたいな極めてヘンな表記で!?に思ったのを思い出しました。(どうするとこう書ける?仏語読みしたとしても?)
彼はどこかメランコリックでしかし、どこか人懐っこく、僕とは結構雑談に乗ってくれました。93年にバネストを去る(ご存知の通りカストに移籍)と知って残念に思ったのも思い出します。
彼自身は、インドゥラインに次ぐ、TT,No,2として名前を知られるようになってきて、彼は、彼の土俵を持ちたがっていた、しかしエチャーバリ氏は、「いや、もう2年待て。」(かつてのミゲールのように、そのミゲールの”後継”にするつもりだった、、、96年一杯で、ミゲールは引退した、その後を考えていた。)「いや、2年も待てない。」とギマールの元へ去っていった。そのあとの結果は残念ながら、エチャーバリ氏の主張の通りになってしまったと言わざるを得ない状態でしたが、、、、。
彼自身、それを認めるが如く、後にバネストに帰って来ましたが、、、。
個人的には、ボールドマンの前、アワーレコードを狙える資格を持った一人だったのになあ、、等とも思ったりしました。
でもね、日本ではマイナー過ぎますよね。(自覚、苦笑)。現代でも勿論、そして当時でも、、、FBにもオマージュを書いたら、流石に仏からはあっちこっち(面識のない人も。知らない人がシェアまでした。誰か解らない。オマケにチャーバ、ヒメネスの親族から友人申請まで来た!)”いいね”があったのですが、日本国内からは誰もありませんでした。(例外として二人アリですが、この二人は身内系で根拠あり)
勿論、それを驚いてる訳じゃあなくで、これで当然、と言うスタンスですが、、、(苦笑その2)