Arturo
アンコウ様今年のツール、全くその内容は頭に入っていないのですが、(入れる気もない!?)この、イノー&レモン件、”歴史認識”では差異がありますね。
過去に話題に出ている事もあり、過去の焼き回しを又書いてみたい気になりました。
そもそも、83年にルノーチームを飛び出したイノーの為にスポンサーとして手を挙げたのがタピーでしたね。(名前を売る格好の”素材”と評価、かつこの辺は当時の自競マにも記事があった記憶がありますが、)それはさておき84年のツールではフィニョンに負けてしまった。
翌シーズンに向けて、結果、84年フィニョンとルノーチームで走り、3位でフィニッシュしたレモンにチーム移籍勧誘をかけた。(当然ながらサラリーを払うのはタピー)この際(口約束と言うよりウラ約束)85年、当チームに来て、イノーの5勝目を確立させれば、86年は、イノーを君の為に走らせる。と言うオプションをつけた。(この時点で、イノーは5勝目を果たす為に、6勝を諦めた、とも言える。5勝がなければ、6勝もない。)まあ、結果論では逆にフィニョンが85年は居なかった訳ですが、、
結果、いつか過去の投稿で登場したDと言う男も言うとおり、ビジネスとして、イノーは86年のツールを走った。(契約の完全な遂行。)又、やはりI川先生の時に登場したTと言う男も、このピレネーのイノーの”片足走行”も、「あれは完全な茶番走行」と、笑って見ていた、との事。(まあ本当に片足で走れるほど世の中甘くないよな~)
当時USAの進出を本気で考えていたタピーにとっては、レモンも又売名上魅力があった、と言う事でしょうね。本来現れない筈の表彰台上で、レモンと抱き合って、それはNHKの電波に乗って日本でも見れましたからね~。
不自然と言えばラルプでの攻め方もおかしい?!と言うのも過去、投稿した記憶がありますが、まあこの辺でやめておきます。(イノーを勝たせるつもりだったら、このような攻め方は不自然調)
但し、あの当時、あの番組を作ったNHKスタッフ内部には、その事を認識していた人物が関わっていたな、と言うかなり確信に近い感覚はありますね。「公共の電波で、これ以上露骨な事はやめておこう。」「わかる人はわかればいい。」的な意図は感じました。まあ、当時の自転車メディアはイノーとレモンが戦った!みたいなにわかに信じがたい事を平気で書いていた時代ではありましたが、、、(笑)