読みづらい小説です。最初の10ページほどはまるで頭に入ってこないです。原因は訳にあるのではなく、ネアンデルタール人の視点から風景や情景が描かれているからなんですが。彼らがクロマニョン人(ホモ・サピエンス)と出会って滅ぼされるというお話です。視点がネアンデルタール人で、しかも彼らは人を疑うことを知らない平和的な人種なんですが、それに対して道具を使うクロマニョン人たちはラストでも暗示されるように仲間を殺すような新人類です。
また、ネアンデルタールの視点ではクロマニョンたち及びその子孫である我々の欲張りぶり(=独り占めしたがったり、ひいては環境破壊を引き起こす)も見ていて、こんな批判的な描写もあります。
「なぜこの連中はこういう食物を全部持っていくのだろうか(。。。)それにまた役に立たぬ木まで持っていくとは?」(p.134)
ただ、最初に書いたように読みづらい。例えばクロマニョンたちが使う弓の描写は棒を持っていてそれを曲げると小枝が飛んでくるというような具合(ネアンデルタールたちはそれを贈り物と思ったりします)。その他にもよく分からない描写がたくさん出てきて面食らいます。
でも、そんな読みづらさを我慢して読み続けると、さすがに「蠅の王」のゴールディングですからね。ノーベル賞作家ですからね。最後の最後にびっくりするような語りの視点の変化が立て続けに行われます。
訳者あとがきによると、人類の原罪という言葉が出てきますが、確かにアダムとイヴの楽園に住んでいたネアンデルタール人に対してクロマニョン人たちは楽園を追放され人殺しをしてカインの印を付けられた人たちなんでしょう。
実はこの小説の前に「ネアンデルタール人の正体」と「ネアンデルタール人、奇跡の再発見」という本を読んでいました。いや、前にも書いたけど、2万数千年前、ジブラルタル海峡に臨む洞窟で最後のネアンデルタール人が死んだそうです。なんかものすごく悲しいイメージで、その話を読んで以来ネアンデルタール人に興味が湧いてて… いつか現生人類もどこかで最後を迎えるんだろうなぁ、と思ったりするわけです 苦笑) それもこのゴールディングの小説にあるように、独り占めしたがる我々の性(さが)がいずれ人類を滅ぼすのではないかと…
それはともかく、上記の2冊によれば、実際のネアンデルタール人たちはこの小説(1955年)に描かれているような、犬みたいな嗅覚の、類人猿みたいな外見ではなかったようだし、石器も使っていたことがわかってきています。
また、ネアンデルタール人のDNAは、アフリカ南部の地域を除き、ほぼ世界中の人類のDNAの中に2%ぐらい残されているそうなので混血はなされていたわけです。この小説の中でもネアンデルタール人の少女と赤ん坊はクロマニョン人たちに連れて行かれます。少女の方はどうなったのかよくわからないんですが、赤ん坊の方はどうやら大切に育てられていきそうですから、この小説が書かれた頃には混血の可能性を考えた人はあまりいなかったんじゃないかと思うけど、ゴールディングはそれも視野に入れていたのかな?
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