
いろいろと物議を醸している北条裕子の「美しい顔」を読んだ。
野崎歓が選評で大絶賛しているけど、そこまでとは思わなかったけど、こういう小説を書ける人ってすごいと思うとともに、いろいろな意味で友達になりたくはないと思った 笑)
それは作者自身が受賞のことばで言うように、「小説を書くことは罪深いことだ」という言葉に現れていると思う。人の悪意を描くためには、作者自らも悪意を溜め込まなければならない。
拙ブログで何度か書いた映画「炎625」のナチスの残虐行為をリアルに描き出すためには、監督自らがナチスと同化しなければならない。そしてそれによって傷つく人が出ても躊躇しない。そういう意味で小説に限らず、創作活動というのは罪深いものなんだろうと思う。作者は鉄面皮でなければ務まらない。そしてこの小説はそうした鉄面皮さが報われていると思う。
実際の震災後の様々なエピソードを知っているだけに、読むのが辛いところもあったが、それを別にして、一番強く記憶に残ったのは「本物の夜がやってくる気配」というところ。大きすぎる悲しみの直後には躁状態になっているけど、しばらくして我に返ったときに訪れる「本物の夜」という言葉に、ちょっと古いけど、何か実存的な不安とか恐怖を連想した。
いわゆる「再生」の物語なんだけど、再生のための触媒になる”教師より怖い奥さん”がキーになっていて、このおばさんをどう思うかで評価が変わりそうな気がする。僕はこのおばさんに今ひとつ納得できない。
東日本大震災の被災者の17歳の少女の一人称で描かれるマスコミに対する怒りと、それなのに、それに合わせて、マスコミが望むように演技する道化のような自分に対するねじくれた悪意の描写は、それほど目新しい視点だとは思わないけど、でも読んでいて、そうだよね〜と共感する。何よりこうした少女の体験や心情が完全な創作(作者は被災地に行ったことがないそうだ)だというのだが、この作者の怖いもの知らずの豪胆ぶりにたじろぐ。作品としてというより、作者と題材との関係という意味で評価が高くなりがちなのかな、と思ったりもした。
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