イスラエルという国に対して、個人的には好感を持っていません。何しろ、この国が平和条約を結ぶためには国民投票と国会の70%の了承が必要なのに対して、戦争宣言は首相と防衛大臣の二人の決定で可能で、国会や政府の了承は不要なんだそうです(by ダニー・ネフセタイさんのFB)
確かにナチスドイツによって酷い目にあわされた民族だけど、それが現在のユダヤ民族の免罪符になるわけではないですからね。ヨーロッパは過去の経緯があって、イスラエルを批判することに及び腰なのだからこそ、日本は本来西欧とは違うアプローチができたはずなんだけどね。安倍とネタニヤフってものすごく相性良さそうだからね。
というわけで、憲法記念日ですが、憲法の話はここではしません 笑) 今日の話題はジノ・バルタリです。すでに彼は、
2012年に「諸国民の中の正義の人」の称号を与えられたことは、拙ブログでも書いたことがあります。
今回、ジロ・デ・イタリアが始まる2日前に、今度はイスラエル名誉市民になったそうです。もっとも本人はすでに2000年に物故しているのですが。
バルタリというと、どうしてもファウスト・コッピとの対比で語られることが多いし、日本ではコッピを持ち上げるためにわざわざ貶めるような言い方をされてきた選手でもあります。しかし、前にも書いたことですが、バルタリは戦時中の1943年に、追放される直前の八百人のユダヤ人のパスポート用写真と偽の証明書を発行させるための書類を、フレームとサドルに隠して、フィレンツェからサン・クエリコまでの380キロをトレーニングと称して運んだそうです。
格好いいのは、これをバルタリは生前にはほとんど自分から語ることはなく、死後になってからよく知られるようになったということですね。でも、バルタリに限らず、戦時中に命をかけてユダヤ人や迫害される人たちを助けた人々は、戦後になって自らそのことを語らず、むしろ迫害に加担した人たちが声高に自分こそ迫害に反対したのだと吹聴する傾向が強かったそうですが。。。
バルタリはカトリックの熱心な信者でしたが、そのカトリック教会のトップの当時の教皇ピウス12世のもとでは、ナチスのユダヤ人迫害に対してだんまりを決め込むという対応で、そういう意味ではバルタリが、カトリック教会にもはびこる反ユダヤ的な感情を持たずユダヤ人を助けたことは、大いに評価されるべきことでしょう(ピウス12世については自転車レースのファンで、バルタリとも懇意の人で、上記のような沈黙に対する批判もあるけど、困難な時代の中でできることをしたのだ、と擁護する意見も多いようです)。
ただ、熱心なカトリックのバルタリがイスラエルの名誉市民になれると聞いて、本人はそれほど嬉しかったかどうか。。。
バルタリについては以前にも書いたことがありますし、何より
マソの「俺たちはみんな神様だった」がバルタリが主役の1948年のツールの話なので、興味がありましたら是非どうぞ。

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