またまたロシア映画です。監督はアンドレイ・ズビャギンツェフという人。実は僕は全く知りませんでした(ロシア映画好きを公言するものとしては少々恥ずかしいぐらい、有名映画祭で賞を幾つもとっている人らしいです)。人間は他人と密な関係を欲する動物で、密な関係の一番は結婚なんでしょうが、この映画のような修羅場を迎えなければならないとあらかじめ知っていたら、誰も結婚なんぞしないでしょうね。
昔イングマール・ベルイマン監督の古典的名作「野いちご」を初めて見たとき、多分大学に入ったばかりの頃だったと思うんだけど、冒頭を始め何度も出てくる夢のシーンに圧倒されるとともに、もう一つびっくりしたのが、人前で派手に喧嘩をする夫婦の姿だった。いやぁ、西洋人って人前であんな風に夫婦喧嘩をするんだ、と思った。まあ、ベルイマンという人がそういう男女の修羅場を何度もくぐってきた人なんだろうけど 笑)
さて、この映画、ロシア映画らしい画面の構図の美しさが随所で見られるけど、話の激しさはあまりロシア映画っぽくないです。完全に愛情の冷め切った、というより憎み合っている夫婦が主人公です。それぞれ愛人がいて、さっさと離婚してお互いに新たな結婚生活を送りたいと考えていますが、二人の間には12歳になる息子がいます。二人ともに、この息子を引き取るつもりはなく、息子は完全にお荷物扱い。と、その息子が家出して行方不明になります。警察に届けても埒あかず、ボランティアの家出捜索PKO(ロシアにはそんなのが本当にあるそうです)にお願いして探しますが、見つかりません。二人は本当に息子が心配で探しているのか、それとも自分たちの今後の新しい生活のことを考えて、息子を探しているのか。。。そして息子はどうなったのか?
風景が「サイの季節」のようなセピア色の樹木や、水墨画のような木々と霧の風景だったり、いい感じです。そしていかにもロシア映画らしい長回しと、画面上で何かが起こるまでの「待ち」のタイミングが一拍長いのも、ロシア映画らしさを感じさせます。でも、映像以上に内容でしょう。例えば、同じロシア映画でも、大御所のタルコフスキーやアレクセイ・ゲルマン、あるいはアレクサンドル・ソクーロフなんていう監督たちはストーリーの内容の密度にこれほどこだわらなかった(こだわらない)ような気がします。それに対して、この映画では、セックスの描写なども含めて、生活の細部に対する描写のリアリティがものすごくあります。
内容的には重いです。嫌になるぐらい重いし、ラストも同じことの繰り返しになるであろうと思われます。西欧で恋愛というのは12世紀の発明という説があるそうです。子育てのバイブルと言われる「育児の百科」の著者松田道雄には「恋愛なんかやめておけ」という本もあるようです。恋とかいうやつぁ、まあ、ある意味壮大な勘違い、ただの性欲をオブラートに包むためのものに過ぎないなんて、私はそこまでシニックにはなれませんが 笑)
カンにさわる音楽が秀逸。

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