
今、東京の渋谷では写真のような特集をやっています。そんな中で表題の映画を見てきました。この後も「モレク神」と「エルミタージュ幻想」はなんとか算段をつけて見に行こうと思っていますが、どうなることか。。。
ソクーロフの映画では、拙ブログでは「ファウスト」について書いたことがありました。その時に感じた画面の歪みやワンシーンの長さ、セピア調の鈍い色のカラー映像、セリフの少なさや、そもそも写っている物が何なのかよく分からないようなシーンとか、汚れたでこぼこの壁面とか、「ファウスト」で不思議に思われたことは、だいたいすでにこの映画でも取り入れられていたようです。もっとも、 でこぼこの壁面はタルコフスキーを始めロシア映画ではよく出てきますが。
冒頭の集合住宅と運河を写す長いシーンから、すでに画面が斜めに歪んでいます。しかもそれがずっと続く感じで、さらに、当初白黒の映画かと思うと、かなり抑え気味のカラー映像のシーンが出てきて、それが画面転換せずにいつの間にか白黒になっていたりします。舞台は集合住宅とその周辺の街中なのでしょうけど、どこかの教会堂か納骨堂みたいな暗い地下のようなところで、樹木が映るシーンもあるから外なのかもしれませんが、空は全く写りません。たぶん映画を通じて、一度も空は映らなかったと思います。地面の方は雨上がりのように濡れていて、ところどころに水溜まりが出来ていたりして、そんなところに金をせびるゴロツキや娼婦たちがたむろしています。そして画面の外からまるで夢うつつのぼんやりしている時のように、遠くで人々の話し声や笑い声が聞こえてきます。
この映画、ドストエフスキーの「罪と罰」を基にしているというのですが、それがわかるのはほぼ終わり近くなって、主人公のラスコーリニコフ(?)と娼婦ソーニャ・マルメラードワ(?)が対決するシーンになってからで、それまではどこが「罪と罰」なのか、まるでわかりません。そもそも今、上で名前の後ろに(?)をつけたのは、映画の中ではこの主役二人の名前はわからないからです。
確かに途中で人々の会話の中に高利貸の女が殺されたというセリフがあるけど、原作ではこの殺害シーンは始まって比較的すぐのシーンのはずなのに、映画ではラスコーリニコフ(?)はいかにもラスコーリニコフらしく思いつめたような暗い表情で街を歩き回っているだけ。
だけど、この二人が対決するシーンだけはそれまでと違って原作をなぞっているようです。つまり、金貸しの老女とその妹を殺してしまったラスコーリニコフは純真な娼婦ソーニャにそれを告白すると、彼女は汚してしまった大地に口づけして神に許しを請い、自首するようにと進めるシーン。
映画のこのシーンは、それまでと画面構成が全く違っていて、ソーニャ(?)とラスコーリニコフ(?)の二人の顔が画面いっぱいに並んで映りながら、長回しで話をするんですが、そのやり取りの緊張感がまたかなりすごいものがあります。そしてこのシーンでも画面の外の水の音(?)、外の運河の流れる音でしょうか?そんな音がかすかに聞こえています。この音の効果は結構印象的です。
さて、原作ではその後ラスコーリニコフはソーニャに言われた通り大地に口づけして罪を告白するけど、人々にはそれは聞こえないのだったと思います。だけど、この映画ではそうなりません。この最後の場面、ちょっと不思議な雌スライオンの巨大な像の下にもぐりこんだラスコーリニコフがとる行動は母胎回帰なんでしょうか? よく分かりませんが、「ファウスト」でもラストは原作とまるで違っていたし、まあ、わからなくてもいいんでしょう 笑)
1時間10分程度の短い映画ですが、タルコフスキー系列の映画といっていいでしょう、眠りを誘うような水の音や、急激な動きがあまり無い画面、ゆっくりと壁面だけをパンする映像など、油断するとあっという間に意識を失いますのでご注意を 笑)

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