
デーゲンコルプクラスになると、見ている方も、上位に入れても勝てないと、ああ、だめだったな、と思っちゃうので、その意味では気の毒ではあります。
今日はいつもの rsn (radsportnews.com)ではなく、Cycling Magazin からのニュースですが、何しろ長いので、2回に分けます。それでも長い 苦笑)
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CM: まず最初に目を去年に向けることから始めよう。2017年の最高の瞬間はいつだった?
デ: ああ、それは娘の誕生した瞬間だよ。父親になるっていうことは何か特別なことで、現実の足元を見直させてくれて、人生において本当に大切なのは何かを教えてくれるものだ。
CM: シーズン真っ盛りでも同じように感じたかな?
デ: 絶対に。家族や子供たちとのコンタクトは再びレースに挑むために絶対必要なことだ。回復するために大切なんだ。でも、今娘の誕生を思い出すと、もう少し誕生が遅いほうがよかったかな。ツールの後2週間後だったからね。でもそういうのってどうしようも無いだろ。ツールの間は本当にヒヤヒヤしてたよ。僕がフランスにいる間に生まれちゃったらどうしようって不安だった。
CM: 本当に生まれてたらどうしたかな?
デ: チームとはあらかじめ話し合っていたよ。そうなれば僕は家へ帰るってね。
CM: 子供の誕生には何としてでも立ち会いたかった?
デ: もちろん。僕自身のためだけじゃなく、妻のサポートにだってなるからね。ずっと彼女は僕に尽くしてくれたんだ。僕が家にいるときだって、僕はしばしば家を空けて何時間もトレーニングしなければならなかった。子供が生まれるときにそばについているのはとても大事なことだったんだ。そして本当に感動的だった。涙が出たよ。言いようのない出来事だった。
CM : 僕も子供の誕生には立ち会ったことがあるけど、パリ〜ルーベに買ったことはない。感情的には比べることができるものかな?
デ: うん、似てるね。もちろん全く違うものだけど、頭の中の感情的な爆発は比べることができるかもしれない。
CM: さて、最高の瞬間を聞いたから、今度は最悪の方へ行こうか?
デ: 世界戦の出場を断らなければならなかった時の監督のアンドレアス・クリアへの電話だね。
CM: 辛かった?
デ: 電話がというのではなくてね。だってもうどうしようもなかったからね。世界選手権は走れればいいと思っていたわけではない。このレースにエースとして走ることが願いだったんだ。むろん調子が良くて結果を残せる可能性があるときにね。気管支炎でそれはダメになった。僕にとってその条件を満たしていただけに辛かった。2017年最悪のポイントはそれだったね。
CM: レースをTVで見なければならなかったのは、とても残念だったね?
デ: 最悪だったね。レース展開もコースも僕にぴったりだったもんね。ホームに辿りついたらドアが閉まって、電車が出発するのを見ているような気分だった。
CM: 君は何に勝ちたいか、負けたくないか、をしっかり意識している人だよね。
デ: うん。だけど、それが僕の強みであるとともに弱みでもあり、またその点は変えようがないと思っている。
CM: そして、レースに勝つためには必要なことなのかもしれないね。
デ: うん、世界のトップレベルで競い合いたいなら、そこそこの結果で満足してはダメだよ。もっと上位を目指さなくちゃ。
いつでもそう考えてきたんだ。すでにU15の時に監督は僕のことを、こいつは二番になるための選手じゃないと思ったんだそうだ。ジュニアの時代にも、その後のU23の時にも。監督は常に僕に言ってた、「デーゲ、君は負けてはならんのだ」って。これは時として逆効果だったこともあるけど、だいたいは励まされる言葉だった。
CM: すでにジュニアのクラスで野心は強かったわけだね。でもそのための才能も明らかにあったわけだ。何よりもクラシックに関して。2009年のロンデ(ツール・ド・フランドル)のU23を覚えているよ。その時君は3位になった。見ていたメディア関係者はみんな、こいつはきっとクラシックスペシャリストになるに違いないって思った。
デ: 当時からこういうレースが僕向きだし、可能性があると思っていた。実際に走る前からああいうレースに魅了されていた。
初めてロンデを走った時、はっきりわかったね。当時(2008年のU23のロンデ)ガティス・スムクリスがかなり早い段階から逃げて、ものすごい単独ゴール優勝をあげたんだ。僕は追想グループでやっと16位になった。でも僕にはこのレースは向いているし、そこで上位に入れるようになりたいって思った。このレースで若いうちに重要な経験を得られたことは良かったと思う。
CM: プロになってもU23の体験から得るものはあった?
デ: もちろん。何しろ最初は何も知らなかったんだからね。コースを知らなかったら何もできない。2008年に初めてロンデを走る前、大ベテランの先輩シュテファン・シュレックと話をして幾つかのヒントをもらった。石畳のレースに単純にワクワクしてて、何でも知りたいと思った。他のレースではやったことがないのに、レースよりだいぶ前からコース図を印刷しておいた。
実際にレースでは、それがどれぐらい長く続くかとか、最後のところがどうなっているかを知らなければしょうがなかった。当時すでにコースの丘は全部暗記していたから、それはもちろんプロになっても役に立ったよ。

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