
こんなものをヤフオクで落札してしまいました。ジャック・アンクティルとレイモン・プリドールのキーホルダー。別々に出品されていたんですけど、どうしたってこれは二つで1セットで手に入れなくてはなりません 笑)
プリドールはついにアンクティルに勝てず、ツールでは一度もマイヨジョーヌを着ることができませんでした。でも表彰台には8回も登っています。フランス人は日本人以上に判官贔屓の意識が強いようで、ある時期には、フランス人がいちばん好きなフランス人に選ばれたりしたそうです。
アンクティルの方はもちろんツール・ド・フランス5勝を最初に達成した選手です。TTで圧倒的な強さを誇り、山岳ではクライマーたちに食らいついて遅れを最小限にした勝ち方は、のちのインドゥラインがそれをお手本にしたと言われています。
プリドールにとっていちばん惜しかったのは1964年。最終的には55秒アンクティルに届かなかったんですが、ル・ピュイ・ド・ドームという、今ではもうツールのコースになることはないであろう山頂ゴールでのステージでは、プリドールがもう少し自信を持ってアタックしていればツールに勝てたのではないか、と言われています。
我が家にあるツールの伝説の山岳コースの写真集ではかなり詳しくこの時のレース展開が描かれているんですが、アンクティルはちょっとでもスピードが上がったらちぎれていたところを、完全にブラフを仕掛けて、苦しいそぶりを見せず、それを見たプリドールもアタックはまだ早いと躊躇して、結局ゴール前800メートルでアタック。アンクティルは遅れを42秒に抑え、総合ではまだ14秒差でリードを死守するという際どい勝負になったのでした。

これが一番有名な写真でしょうか。両者相譲らす、肘と肘をぶつけ合いながら並んで登るという、今ではあまり考えられないスタイルの争いでした。ツール100周年の時に史上ナンバーワンはいつのツールかというアンケートでは、この1964年がダントツの一位でした。
すでに以前書いたことがありますが、だいぶ経ったのでもう一度。
1987年11月、アンクティルは末期癌で入院していました。そこにプリドールが見舞いに来ます。かける言葉もなく悄然とするプリドールに向かってアンクティルはこう言います。
「悪いな、レイモン、また君は僕より後だ」
翌日アンクティルは53歳で世を去りました。
さて、このキーホルダー、どこに付けよう??

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