
新宿でやっているヘルツォークとこの映画と、どっちにしようか迷ったのですが、こちらにしました。この映画は数年前にTVの衛星放送でやっていたのを見たことがありました。なにしろ最後のところのわけのわからなさにぶっ飛んだ、という印象でした。見終わって、なんだったんだ?今のは?とTVの前からしばらく動けなかったですね。
監督はヴィターリー・カネフスキーという人で、ソ連時代に無実の罪で8年投獄され、50を過ぎて初めて監督として映画を作り、しかもその後二本取った後、ぱったりと映画を撮ることをやめてしまったそうです。
舞台はスーチャンという日本海側、ナホトカの北にある炭鉱の町。この町にはソ連の収容所があり、多くの囚人が入れられている一方で、抑留された日本人もいます。いわゆるシベリア抑留者たちです。極東の町で荒んだ雰囲気があり、終戦直後なので物資も足りず人々の心も殺伐としていて、子供たちがたくさん出てくるけど、どの子供もみんな悪ガキの風貌風体。町はそこらじゅうに泥の水溜りがあり、住居もバラックの粗末なものばかり。こう言うぬかるみの風景ってロシア映画ではおなじみ感があります。
終戦からほどない時期だから腕や足のない傷痍軍人も出てくるし、モスクワで学者だった狂った老囚人とか、妊娠すれば収容所から出られると思って、男を誘い、断られて泣きじゃくる若い女の囚人とか、人々の心も酷い状態なのがよくわかります。
主人公はそうした子供たちのうちの一人の少年と少女です。その少年がいたずらが度を過ぎて、機関車を転覆させ、町を逃げて都会(ナホトカか?)へ出て行って、そこで宝石強盗の手伝いをさせられ、さらに口封じのために殺されそうになって、迎えに来た少女と一緒に逃げるが。。。というのがあらすじでしょうか。
監督カネフスキーのデビューのきっかけを作ってくれたのは、拙ブログでも2度にわたって紹介した「神々のたそがれ」のアレクセイ・ゲルマンだそうで、そう言われると、似たような作風かもしれません。
映画「神々のたそがれ」再び映画「神々のたそがれ」子供たちの演技が素晴らしいのは言うまでもないけど、主役の男の子が素のままの悪童ぶりなのに対して、少女の方は大人びていて、落ち着き払って、物静かで、男の子の嫌がらせにも善意でお返しをするような優等生的な子です。こういう女の子って小学校の頃いたなぁ。やたら頭が良くて超然としていて、男の子からいたずらされても大人の対応をする学級委員っていう感じの子。
音響効果が不思議な映画で、BGMらしい音楽はほとんどないけど、登場人物が怒鳴り散らすように歌う下卑た歌とか、抑留された日本人が歌うよさこい節や炭坑節が雪が残る泥だらけの荒涼とした風景の中で、不思議な雰囲気を醸し出します。それとやたら会話の音がかぶって騒々しい一方で、汽車が転覆するシーンでは全くの無音になり、転覆後に人々が駆け寄る足音だけが聞こえてくる、という不思議な感じも。
そして何より不思議なのが、時々監督の声だと思うのですが、映画の中に入ってきます。そもそも映画の出だしが「用意はいいか? スタート」というナレーションが入って始まり、最後のシーンも監督の声がかぶる。「子どもを写すのはそのぐらいでいいから、女を追え」という音声が入ってくる。だけど、他にも、子供達が愉快そうに笑っている声にかぶるように大人の男性の笑い声が聞こえる。よくわからないんだけど、これも監督の笑い声ではないでしょうか?
ところで、この最後のシーンのアヴァンギャルドぶりには、きっと誰でもぶったまげると思います。そして同時に、悲痛な映画のラストシーンというのは沢山あるだろうけど、この映画のラストの胸裂けるような悲痛さも半端ではありません。
金曜日の夕方で、こんなマニアックな映画だけど、思ったよりお客さんは入ってました。ただ、面白かったのは僕もそうですが、多分全員一人で来てたようだったことです。まあ、デートで観る映画じゃないわなぁ。
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