1972年のツール・ド・フランスです。写真はパリの表彰台のメルクスですが、彼と握手して顔をマイヨで覆っているのはシリル・ギマール。この名前にピンと来た方は、多分40歳以上でしょう 笑)
シリル・ギマールは70年代後半から80年代前半、ファン・インペ、ベルナール・イノー、ローラン・フィニョンと三人のマイヨ・ジョーヌを生み出す最も成功した監督の一人として有名です。
このギマールが選手として最も輝いたのが1972年のツール。YouTube にこの年のダイジェストがありますね。
VIDEO ギマールは前半のスプリントでの勝利でボーナスタイムを稼いで、第8ステージまでマイヨ・ジョーヌを着ていました。この年、ゴールスプリントでメルクスを破って4勝、特に第15ステージではゴール前で勝利を確信して手を挙げたメルクスの横で、自転車を投げて写真判定で優勝します。上のYouTubeでは20分前後のところです。
スプリントになるとメルクスを上回る力を証明したのですが、この人、膝に問題を抱えていたんですね。18ステージ、総合2位だったのに膝の痛みに耐えられずリタイアしています。この後も2年ツールに出ますが、どれも途中リタイア。結局29歳で引退しています。
ヴィキペディアの日本語版では選手として大した成績を残せなかったなんて書いてありますが、まあ監督としての名声を引き立てるための露骨な描き方で 苦笑)、なんて言ってもツールでステージ7勝ですよ。他にも71年にはブエルタでステージ4勝を挙げてますし、プロ生活9年で100勝以上あげていますからね。
というわけで、この年、パリにはたどり着かなかったんですが、その表彰台で、背広姿でメルクスに緑のマイヨを授与した彼に、メルクスは一旦それをまとって写真に収まった直後、素早く脱ぐとそれをギマールに渡してこう言います。
「緑のマイヨは君のだ。君にこそふさわしい。記念に取っておけよ。」
ギマールは人目憚らず緑のマイヨで顔を覆って号泣、というわけです。上のYouTubeでは27分40秒ぐらいから28分15秒ぐらいです。
格好良すぎるだろ、エディ!!
しかしメルクス、何でもかんでも勝とうとするので「人食い人種」(カニバール)と呼ばれ、強すぎるので一部のファンはアンチメルクスになったわけですが、こうした俠気には、まあ、もう誰もかないませんなぁ。史上最高の選手といわれるのも当然のことでしょう。
そういうわけで、個人的にはメルクスのツールの記録(ツール総合5勝、ステージ34勝)を、未来永劫 笑)誰も追い抜かないことを願っています。まあ、並ぶのはしょうがないかな 笑)
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