Arturo
アンコウ様なるほど、そういう事でしたか、この場合、舞台がフランスでなく(配役も変わって)イタリアだったら?と言う事ですね。まあ、返事不要との事なので、多言は避けようと思いますが、まあブーイングはないでしょうね?。(何度も書きますが、心当たりがない。まあ、誰かの投稿を待つしかない?!)
まあ、ヘリコプター事件みたいなのがあったら、これはブーイング物でしょうけど、、(実際あの事件に象徴される、あのやり方(運営)は、ジロの地盤沈下を招いた訳ですし、、因果応報という事か、、、又脱線しちまった!)
勿論、ナショナリズムと言うのはありますから、ブーイング(あのメカトラ事件のような、ピーピー音。テレビ画面の向こうまでハッキリ聞こえる。現場は、さぞかし、、、、状態な、、、)はなくても、先の96年のジロのミラノの表彰式は、エンリーコ!、コールでしたし、もっと古くは、ヘリコプター事件の翌年のルッカは、同様フランチェスコ!、コール。そして89年のフィレンツェはジュッポーニ!(なぜかフラヴィオではない!?)コールの嵐だったですね。
しかし、あえて脱線を承知で触れると、現場の雰囲気を察知したイノーが然るべきインタビューに答えた後、モゼールの手を取りゴール横の櫓(あの時代のジロには、後世見られるような単独の表彰台、と言う物が存在しなかった。)、から、観衆の目に届く位置までモゼールを引きづり出し、彼の腕を取り高々と掲げたところ、フランチェスコ、コールはピタリと止まり、一斉に拍手が起こりました。「ベルナール・イノーよ、あなたもまさに大チャンピオン、ヒーローに間違いない。」と言う感じでした。(まあ、つまるところ、ナショナリズムだけでは線は引けない、となりましょうか、、、)ちなみに、同様の環境でしたが、フィニョンは同様のパフォーマンスはなし。(但し並んで両腕を上げる、と言うところまではアリ)イノーの場合モゼールより一歩下がったところで腕を掴んで上げた、と言うのがさらに言うならポイントかも、、、パトロン、になるからには、仁義を兼ね備えないとならない!?。でも、この1日前にはステージ終了後にマイクを取って、「私は”被害者”にはなりたくない。」とオーガナイザーを実名で罵倒していた、のも同一人物ではありますが、、、(しかし結果ヘリコプター事件No,2は回避された!?)
レース環境、モラルについては、フレームが壊れたら鍛冶屋に入って直して又走り出していた時代と、現代のそれを比較するのは(これは極論としても、、、)、比較行為そのものにムリがある気がしますが、しかし古い方が、画鋲の件じゃあないですが、モラルは低い、と言う印象があります。
昔、大昔からすれば、アタックで逃げているグルペット内で視聴者が、誰が一番引いているのか分かるような(リアルタイム)なのは想像すらつかないでしょう?。(そもそもテレビがないけど、、、)いつか話題に出したような(郵便局員のネンチーニ息子)、カネでのやり取りなんてのは、日常的にあった訳で、(勿論、僕の時代でも、いつかのシモーニとバッソみたいに、ないとは言いませんが、、、)近代の方が改善されている印象はあります。この辺はモダン化している、なんというかエンターテイメント産業(プロレス型!?)としてキチンと整備されていく方向にある、と言うのは感じますが、、、。
メルクス辺りから、、、と言うのはバクゼンと同感です。(但しアンクティルの時代はノー、みたいな明白な白黒な色分けは出来ませんが、、、。アンクティルには人間的な魅力があった、と言うのは複数の証言を(過去一部紹介していますが、エチャーヴァリ氏に関してはいつかのニューサイ記事コピーを参照して下さい。)聞いていますしで、、、。強ければパトロンになれる、と言う訳ではないでしょう。)
パンターニ型か、それともチャーバ寄りなのかは、前述の通り、僕には全く類推不可能です。只脱線ですが、グランツールのエースを務める、でオワリではなく、グランツールを複数回獲るには、TTの才能は不可欠でしょうね。これは5勝クラブのメンバー(まあこれに取り消しランス、ツールは2勝しかしていないけど、コッピ、そして今の英国人を加味しても、、)を見れば明白でしょう。例外が一人もいない。これはクライムで勝って、TTでそれを死守する、と言う方式には限界がある、と言う事でしょう?。
勿論、同様に、今回のこのスペイン人にこの素養があるかは僕には全く解りませんが、、、。