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立岩真也・杉田俊介「相模原障害者殺傷事件」覚え書き

2017.05.12.02:36



読み終わったのはもう2週間近く前。だけど、どうもうまくまとめられないできた。今もうまくまとめられないままなので、覚え書き程度にメモしておきます。

正直に言うと立岩真也の書いた部分は、なかなかレベルが高くて(=予備知識が必要で)ちょっと読みづらい。でもあちこちに心を打つ文章が点在している。

「できる人が得をするのは当然だ、できることにおいて価値があるというこの近代社会の「正義」が優生主義を助長している。それをのさばらせないことである。 」

この事件の犯人を精神障害者が妄想に取り付かれておこなった特異な事件だとして、精神医療の問題に限定してしまおうとする人たちがいる。だけど、この事件は今の時代の空気を如実にあわらす事件だったと思う。それについては何度もここで書いた。だけどその後、この事件の対策として語られるのは精神障害者の措置入院制度を検討し直すという話ばかりだった。

つまりその方が安心なのだろう。死刑制度のことを書いた時にも触れたけど、ああいう犯罪を犯すようなやつと自分は違うと言いたいわけだ。ああいうやつは何か怪物のような悪党、映画に出てくる異常な犯罪者でなくてはならない。そう思うことで自分とは違うと安心できるわけだ。

だけど、そんな線が引けるのだろうか? 誰が引くのだろう? この本はまさにそうした線引きなどできないのだ、という本だ。

杉田俊介の書いた方は、個人的にはとてもわかりやすかった。上記の立岩の言うように、働かざるもの食うべからず、は人間社会の中で原則になっている。それが高じていくと、働かない奴は邪魔だ、いなくなってくれ、というところまで、もうあと一歩だ。

「無意味な人生であれば殺してしまったほうがましだ。それが国のためになり、ひいては世界のためになる。もちろんそれは吐き気を催すような、ぞっとするような考え方である。だが、ふとこうも思う。それは誰よりも、あなた(たち)があなた(たち)自身に密かに言い続けてきたことではなかったか。」(144-5ページ)

この文章の最後のところは読者に向かって語りかけている。誰だって過去に、ああ、こんな俺なんか死んだほうがましだ、と思うことがあるだろう。こんな無意味な人生なんか終わらせたい、そんな瞬間が人生で一度もないという人は、まあ幸せな人なんだろうね。つまり優生思想というのは自分自身にも向けられているものなのだ。

星野智幸の小説に「呪文」というのがあって、最初に読んだ時は、ものすごく面白いけど、どう考えたらいいのか、よくわからなかった。この杉田俊介の、優生思想というのは実は自分にも向けられるものなんだというのを読んで、この星野の小説を思い出した。


優生思想の根というのは深く、これをしっかりと断ち切るのはなかなか難しいし、社会の有り様に直結する問題をはらむ。先日書いた自己責任ということとも繋がってくるだろうし、死刑制度とも繋がってくると思う。生きている価値がない人間がいるのか、生まれてこない方が良かった人間がいるのか、ということである。その価値は誰が決めるのか? そもそも人間の「価値」ってなんだ? 

これに対して、杉田俊介は「人間の生には平等に意味がない」と言い放ち、個人の「意味と無意味の線引きを拒絶」するという考えを述べている。以前書いたことがあるフェリーニの「道」という映画に、登場人物が知恵遅れの主人公に向かって「意味のない人生なんかない、空の星だって、この石ころだって、必ず何かの役に立っているんだ」という感動的なシーンがあって、何度も泣かされたシーンだけど、杉田はそんな甘いことを完全否定しようとしている。これを正しいと思うかどうかは人によるだろう。意味がないなら、何をやってもいいではないか、という繋がりで、ニヒリズムにたどり着く可能性も考えられる。さらに、そのニヒリズムを超えて(簡単に言うが、これもまた大変なことだろう)、これを正しいと思っても、この境地まで一足飛びにたどり着くのは難しい。そうだとしても、「低い声でぶつぶつつぶやいていればいずれじわじわと染みとおっていく」(189ページ)のだ、と思いたい。

とりあえず、今は、優生思想的な発想を「のさばらせないこと」が大切である。



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comment

アンコウ
CYPRESSさん、

おっしゃる通りだと思います。線引き不可能。

精神障害も犯罪率は一般人より低いという統計はすでに出ています。

それなのに、安部が指示したことは措置入院制度の見直し検討。要するに、今の時代の雰囲気を、彼は温存しておきたいと本能的に気付いているのでしょう。弱肉強食で不寛容で排他的な雰囲気を。
2017.05.14 00:26
CYPRESS
>死刑制度のことを書いた時にも触れたけど、ああいう犯罪を犯すようなやつと自分は違うと言いたいわけだ。ああいうやつは何か怪物のような悪党、映画に出てくる異常な犯罪者でなくてはならない。そう思うことで自分とは違うと安心できるわけだ。

だけど、そんな線が引けるのだろうか? 誰が引くのだろう? この本はまさにそうした線引きなどできないのだ、という本だ。


さて、さて、
赤ちゃんが生まれる前、親は五体満足なら、健康な子なら、と願い祈るもの。
誰でもそう思うでしょう。
でもね、五体満足な人間は史上一人も存在したことなく、現在も一人も無し。今後も存在することはありません。
生物とはそういうものなんです。
不完全な存在なんです。
大部分の人間は普段の生活で支障がでないから気が付かないだけなんです。
スポーツで考えると分かりやすい。
同じ練習をしているのに、上達の程度が違うでしょう?

「努力すれば上達する、だから頑張るんダ!」
、と言う考えは一般的だし金科玉条。
人生訓の第一条でしょう。
でも、これは無知蒙昧のなせる業。
多くの分野や能力で個人の能力は上達しません。
あるとしても、二つや三つ。

こういう事は、高校の生物では習いません。
本当の高等教育でないと、このレベルまでは勉強しません。
医学部並じゃないと、この辺の事は分かりません。

私の場合、掛かり付け医の先生が話付きの勉強家で、こういった事を教えてくれました。
スポーツでも持久力と回復力「命」のロードレースもあれば、瞬発力と瞬時の判断力が重要なトライアルもあります。
(サッカーは、実は、平衡感覚がかなり重要だと思います)
色々な能力があり、それぞれを発揮出来る機会があります。

人間の臓器も同様。
大脳もその例に漏れず。
最近ようやく注目されてきた体と性の不一致。
心の方も100%女もいなければ、100%男もいません。

この「精神障害」の定義は我等素人には、無理。
線引きは不可能。
実際に他人の命を奪おうとする事態になった時、どう考え判断し、
行動するか誰にも分かりません。
だから、その手の専門家の精神科医や脳科学者でも簡単には出来ず。

エルキュール・ポアロが言っていた様に「灰色の脳細胞」なんです(笑)、
人間の心は。
2017.05.13 22:02

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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