fc2ブログ
2023 09 << 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>> 2023 11

「自己責任」という言葉について

2017.04.22.14:26

自己責任という言葉が嫌いである。特に政治家や役人からこの言葉が出てくると、一瞬殺意すら覚える(ちなみに私は死刑に反対 苦笑)

誰かが書いていたのだが、この自己責任という言葉は20世紀には広辞苑をはじめとした辞書には載っていなかったそうだ。確かに、調べてみて驚いたのだが、全10巻の小学館の「日本国語大辞典」昭和55年版にも載っていない。

なぜ嫌いか? 僕の感覚ではこの言葉には弱者を切り捨てて顧みないようなものが感じられるのである。だけど、僕が嫌いでたまらないこの言葉、世の中では結構この言葉が好まれているような気がする。要するにわかりやすいのである。自分で決めて、自分でその結果を負う。そこには何か潔さのようなものが感じられる。

同時に何か困った状態に追い込まれた人を、この言葉を使うことで、突き放すことができる。少なくとも、俺の責任ではない、だから俺は知らないと安心できるのである。

すべてを自己責任としてしまえばわかりやすい。それぞれの人が他人の権利を侵害しない限りにおいて、何をしてもいい、その代わりその結果には自分で責任を負う。すっきりしていて、実に分かりやすいけど、ことはそう簡単ではないだろう。そもそも他人の権利を侵害しない限りっていうことの定義は難しい。これがすっぱり分かりきったことだとしたら、裁判所なんか不要だろう。それどころか「国」だっていらなくなるだろう。

ところで、本来人間というのは、他人が幸せそうにニコニコしているのを見ると、自分も幸せになるものではないだろうか? 他人の不幸を喜ぶのは、その人の「性格」の問題ではない。その人の置かれが状況が不幸だからなんだと思う。なんか抹香臭いエセ教祖みたいな台詞で面映いものがあるけれど。

21世紀に入って、競争社会が一気に加速した感じだ。みんな遅れまいと必死な感じがする。競争だから絶対に遅れる者は出る。だけど、他人に構っていたら自分も遅れてしまうかもしれない。だから遅れた者は放っていく。その時にそういう自分の負い目を軽くしてくれる言葉、それが「自己責任」という呪文ではないだろうか。遅れたやつが悪いのだ。努力が足りないだけなのだ。遅れるのは自己責任だ。

でも先に書いたように、人は本来困っている人がいれば助けたいと思うものではないのだろうか?

遅れた者にも努力不足とか自己責任なんていう言葉で説明できない理由があるはずだ。そもそも子供の貧困率が異常に上がっている現在、競争のスタートラインすら既に大きく違っているのだから。

僕は一般の人たちが「自己責任」という言葉を使うのは、何か逆の意味での悲痛な叫び声のような気がするのである。この言葉で自分自身を納得させざるをえない時代状況に対する叫び声。本来、この言葉はおかしいよ、としっかり言ってもらいたがっているのではないか、そんな気がするのである。


このテーマについては、まだまだ、ねれてないけど、個人的に今ちょっと忙しくて、また続きを書くと思います。今回の記事は少し前に書いた「すでに国の体をなしてない」という、復興大臣の発言批判の記事にコメントを書いてくれた方とのやり取りから考えたことです。「自己責任」という言葉についてはもっとしっかり考えてみたいと思っていたし、まだこれからも考えていくつもりですが、まずはコメントを下さった方に感謝するとともに、そのあと、別の形でコメントを下さった常連のミニさんの文章が秀逸なので、このテーマに関心がある方は是非お読みいただけたら、と思います。

「すでに国の体をなしていない」の記事へ



にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



comment

アンコウ
ミニさん、

こんにちは。東京でも北朝鮮がミサイルを発射したらなんとか情報とやらで一斉に送信されると、朝からTVでも大騒ぎでした。なんかねぇ、みんな喜んでますよね。北朝鮮にミサイルを発射してもらいたがっている一番手が安倍をはじめとしたネトウヨ連中ではないでしょうかね。原発事故時の避難についてはスルーしておいて、ミサイルが落ちたら窓に近づくなとか、地面に伏せろとか。。。

孫崎享が「世界にミサイル防衛で、地面に伏せろと内閣が真顔で告知する国ってどこかあるんですかね」とツィートしてましたが、本当にその通りでしょう。安倍らはこの勢いで憲法も変えて、権力者たちに都合のいいものにしようと思っているんでしょう。

いつの日か、まっとうな時代になった時、この時代を後世の歴史家たちはどう書きあらわすだろうと考えます。ただ、いつの日か、まっとうな時代というのが来るかどうか怪しくなってきましたが。。。
2017.04.25 21:26
ミニ
共謀罪の審議がこのまま行っちゃいそうな雲行きですし、北朝鮮のミサイルをめぐってのすさまじい「危機あおり」が政府・自治体・マスコミで盛んで、今にも戦争が起こりそうだという雰囲気を一生懸命に作り出そうとしています。
もちろん政府が音頭を取っているのですが、私が今いる日本海側の都市でも、県や市が「弾道ミサイルの落下時の行動」などとテレビなどで人々に宣伝していて、いい大人が、と笑ってしまいます。
もし万が一、北朝鮮のバカな太っちょ独裁者がボタンを押すことがあったとしても、狙うのはまず韓国の軍事基地と都市、次に日本の米軍基地、次いで自衛隊の基地、などと軍事施設が標的になるはずです。ありえませんが何百発と持っていれば、その次にやっと来るのが東京などの大都市でしょう。
軍事施設以外の田舎の過疎地にミサイルが飛んでくるなんてことは間違ってもありえません。隕石か衛星の落下にぶつかる程度の確率でしょう。
核戦争が始まったならば、どうしょうかと心配すればよいだけのことです。

すべて周到な世論誘導のための操作です。次の選挙を通じて右派勢力をさらに増大させ、憲法改悪や攻撃的な軍備増強を一層推し進めようというのでしょう。オリンピックに向けたテロ対策を口実とした国民の思想統制と監視もどんどん進められそうです。息苦しい世の中になっていきますね。

情報伝達手段の発達していなかった戦前なら、例の教育勅語以降、学校教育以外で、国民精神作興運動、教化総動員運動、国体明徴運動、国民精神総動員運動と50年くらいかかった国民の洗脳を、今は10年以内くらいでやろうとしているように見えます。案外、今は時代の大転換期かもしれませんね。
アメリカもああだし、ロシアでもエホバの証人が禁止されてスターリン時代にもどったみたいだし、これは世界の趨勢なのでしょうか。
2017.04.25 18:42
アンコウ
あるふぁさん、

LBLでもバルベルデがインタビューで最初に言ってましたね。去年のデーゲたちの事故もそうだけど、今度も相手側の不注意運転だったそうです。僕も自転車にも乗るけど、車も運転するから、本当にどちらも気をつけないと。。。
2017.04.25 07:16
アンコウ
ミニさん、

ありがとうございます。いろいろ参考になります。私としては「自己責任」という言葉を全否定したいんですけど、なかなかそこまでたどり着けそうにない。でもきっとこの言葉は誰が発するか、責任に対してどの位置にある人が発するか、でベクトルというか、言葉の方向性が変わってしまうのだろうなぁ、と思います。

例えば、障害は個性だ、という言葉。当事者や親や支援者がそれを言うのはよくあることです。しかしこの言葉を逆手にとって、障害が個性なら支援の必要はないと言い放った議員がいました。何か「自己責任」という言葉もこれに似た様なものを感じるのです。

イラク人質事件の時も、日本で自己責任論が猛威を振るっている最中にアメリカのパウエルが真逆の発言をして人質を称賛したことがありました。あの時からさらにこの言葉の破壊力は高まった様な気がします。この言葉が出てくれば、それで思考停止、それでみんな安心できるのでしょう。そしてミニさんがおっしゃる通り、この言葉を利用している勢力があるということでしょう。

しかし、現在ではこういう書き方をすると、すでにこれはサヨクの発想である、といって耳を傾けようとしない人たちも多いのでしょう。

見事に社会の雰囲気が大きく右に振り切れてしまった。このまま社会や国のあり方が北朝鮮化、旧ソ連化していくんでしょうかね。
2017.04.25 07:13
あるふぁ
スカルポーニが亡くなりました
練習中の事故は悲しいですね
レース中の事故も悲しい事には変わりはないですが
練習中の事故はわりきれない気持ちが強いです
冥福を祈ります
2017.04.25 00:15
ミニ
アンコウさんの意見に大賛成ですが、とりとめなく書きます。

林道をバイクで一人でトコトコ走るのが趣味なのだが、最近はゲートがあって一般車通行禁止となっている所が多い。車はダメでも、端にすきまがあってバイクは通り抜けられるようになっている場合は、「これは自己責任ね」と自分に言い聞かせながら入っていく。
2つの意味がある。1つ目は、もし事故(路外転落とかクマに襲われるとか)があっても他者(道路管理者など)の責任は一切問わないという意味で、2つ目は、事故があっても他者の助けは求めないという意味である。
が、1は当然として、2は死ぬかもしれない時に現実的だろうか、と考えると難しい。ケースバイケースで判断し、できる限り自力での生還をめざすが、多分自分は助けを求めてジタバタ悪あがきするだろうな、と思っている。

最初に「自己責任」なるものが出てきた時は、善意のボランティアなどの命と自衛隊派遣という国益を天秤にかけてどちらを取るかという判断で、後者を優先し個人の命を捨て去る論拠としてだったように記憶する。
ただし、「国益」と言っても、例の根拠のない大量破壊兵器をめざしてのイラク戦争だったから反対意見も多く、あくまで当時の小泉政権の意思と個人の命がぶつかってしまっただけで、「自己責任論」は政策推進の障害を排除するための苦肉の策、だったのだろう。
欧米諸国は、人質を取ったテロ側の要求には絶対に屈しないが、人質の命も最大限尊重する、人質は犠牲者か英雄、という人道的なスタンスで一致していた。日本だけが、被害者である人質を非難するという奇異な見方を主張して、日本異質論に新たなページを加えたと言える。日本ムラが21世紀に出現したのだ。

最初に書いたように、自分で「これは自己責任だ」と言う場合は、自分の行動の結果に対して覚悟を持つ、ということで、気合入れと同じように、より慎重な行動をうながすというプラスの意味を持つ。
それに対し、他人が「それはあなたの自己責任だ」と言う場合はまったく異なってくる。

自己責任の対語は「他者責任」と考えられやすいが、実は自己の対として考えられているのは、特定の他者ではなくて、「社会」や「共同体」だろう。
だから、宣告する人間は個人ではない。社会を代表して宣告するように見える。それが恐ろしいところだ。
自己責任と言われた場合、当人は社会や共同体の保護から外されて実質的に追放されている。すると、社会や共同体にそのような処置をする権限があるのか、という議論が生まれる。これは難しいが、私はないと思っている。国民には国籍離脱の自由はあるが、国民を追放する権利は国家にはない。だから、死刑も同時にないはずだ。

日本語には、本人が悪い場合には、「自業自得」とか「身から出たサビ」とかという温かいいい言葉がある。「笑ってやる」でも良い。それなのに、自己責任という、困っている当事者をわざわざ自分たちから切り離して孤立させようとする、いかにも冷たい言葉を使う必要はない。

現在の自己責任論はさらにゴジラ化してすごいことになリ、姥捨て思想・優生思想の新衣装になってしまっているようだ。社会的弱者を救うのではなく、余計者として抹殺し、さらに奈落へ蹴落とそうという魂胆らしい。
イントレランスな日本は、18世紀の慈善事業以前の段階にもどるのか。
身障者や高齢者や生活保護受給者、またホームレスなど生活困窮者も非生産的と見なし、社会のお荷物・ジャマモノで排斥すべきものとする。格差社会の犠牲者をあたかも自分から希望してそうなったかのように見なす。だから、災害の被災者も同じ扱いだ。ただし、お金持ちはそれらすべてのハンディキャップを超越し免除されるので、これは同時に拝金思想でもある。

確かに、彼らには勝ち組に自らを位置づけて安心したい、という気持ちもあるのだろう。だから、北朝鮮のミサイルとやらにも大騒ぎする。貧乏人や弱者を見殺しにして、軍事費につぎ込み、たくさんの高価な兵器をそろえて現在のぜいたくな生活を続けたい、トランプと多分まったく同じ発想だろう。

2017.04.23 20:16
アンコウ
あるふぁさん、

経済のことはわからないんですけど、でも、最初からスタートラインが違うのに自己責任論を云々されても、ふざけるな!と言いたくなってしまいます。未だにトリクルダウンなんて言って、金持ちが潤えば貧乏人にまでおこぼれが回ってくると主張する金持ちがいるわけでね。自分たちを縛る憲法を変えたいという権力者も同じことだろうと思います。

人間って結局自分に都合の良いことを信じたがるし、そこで思考停止してしまうものなんでしょう。
2017.04.23 11:19
あるふぁ
資本主義そのものは
経済的ヒエラルキーの上に成り立っているので(それも個人責任というのか?)
本来国はこの最下層にこそ目を向けその生活を豊かになる様にしなければ
景気は良くならないのに
クソのような○○○ミクスは金持ちがより潤うような政策で
今はいってみればミニスタッグフレーションじゃないでしょうか

2017.04.23 01:13

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/tb.php/2860-20a21685

プロフィール

アンコウ

アンコウ
**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

カテゴリー

openclose

FC2カウンター

Amazon

月別アーカイブ

検索フォーム