アムステルで優勝したジルベール、実はレース中の落車で腎臓を強打していて、一週間以上の安静が必要と診断されたそうで、フレッシュ・ヴァロンヌもLBLも出場できなくなりましたね。しかし、落車した瞬間、数秒気を失っていたというんだけど、気がついてすぐに自転車に飛び乗り、結局優勝だもんね。どういう体してるんだろう??
というわけで、憲法改正に賛成がアンケートで半数を超えたそうだ。いや、本当なのか? アンケートっていったって分母の大きさや対象が誰かによっても変わるだろうから、あてにならないとも言える。
だけど、これまでにも何回か書いたけど、憲法改正に賛成か反対かを問うなら、まず、アンケートの出だしは、憲法を読んだことがあるかどうかを聞いてほしい。国民のどのぐらいの割合で憲法を読んだことがあるのだろう? 普通ないよね。 さらに憲法って、何のためにあるのか、も聞いてほしい。 憲法はただの法律の親分ではない!
もうあちこちで言われているけど、権力を持てば人は傍若無人になる。人を自分の言う通りにさせたがる。だから、それはできませんよ、と憲法が縛っているのである。憲法は国民がそれを守るためにあるのではなく、権力を持つものが守るためにあるのだ(教育・納税、勤労は除く)。
こう考えれば、言論の自由というのは、国民が権力を批判するための言論の自由だということがわかるし、決してヘイトスピーチが言論の自由だというわけではないのは明らかだろう。
権力を持つ者たちが憲法を変えたいというのは、泥棒が刑法を変えたいというのに等しい。
特に自民党の憲法改正草案などは、自分たちを縛るものから国民を縛るものに変えようとしているのが明白である。
このところの大臣たちの露骨な失言(あれは失言ではなく、本音なんだよ)を考えてごらん。教育勅語にはいいところがあるというのは、いざとなれば国のために国民は死ねと言っているのだ。国のためというと聞こえはいいが、要するに権力を持つ俺たちのためにお前らは死ねと言っているのだ。
教育勅語にもいいことが書いてある?? バカ言っちゃいけないよ。金日成のチュチェ思想にだって、きっといいこと書いてあるよ、知らんけど。ハムラビ法典にだってコーランにだって新旧の聖書にだってマグナカルタにだって論語にだって、他にもいいこと書いてあるものは古今東西山ほどあるよ、きっと。だけど、いいことの中に一言、いざとなったら天皇のために死ね、と書いてあったら、それはアウトでしょ。
福島の自主避難は自己責任だというのは、原発という国策のせいで故郷を離れざるをえなくなった人たちのことは、もう国は知らないよ、という意味だ。国って何のためにあるんだ? 何のために僕らは税金を払っているんだ? 軍事産業を儲けさせるためか? アメリカを喜ばせるためか? 役人の天下り先を確保してやるためか? 政治家が偉そうに友人たちの便宜を図って土地の取引を格安にしてやるためか?
国策として原子力を推進して、安全だ安全だとさんざん言い張り、挙句、あのザマで、それで被害を受けた人たちが逃げたら自己責任か? 自分たちは責任なんかとるつもりは全くないにもかかわらず??
学芸員が癌だなんていうのは、もう文化なんていらない、金儲けのことをもっと考えろ、と言っているわけだ。人権なんかないと言いたくてしょうがない人たちにとって、文化活動なんていう、ものを考えたり感じたりするようなことをされては困るわけなんだろう。国民の精神が豊かになれば、俺たちに逆らうに違いないと思っているんだろう。国民はバカであってほしい、そして、バカはバカなりに何も考えず、俺たちのために働け、と言っているのである。
こういう連中が、自分たちのために憲法を変えろと言っているわけだ。 え? ちょっと冷静に考えれば笑うでしょう?
ホワイ、ジャパニーズピープル! 頭大丈夫か?と言いたくなる。
人々の感覚としては北朝鮮が怪しい動きをしているから、というのが理由なんだろう。でも、憲法変えたからといって、北朝鮮がどうなるんだろう? 中国が日本の憲法を変えたことによって何か日本にとって都合の良いように政策変更するんだろうか? 権力者たちは危機感を煽って憲法を変えれば良くなるというような印象を与えようとしているだけだよ。その実、彼らが憲法改正で狙っているのは、自分たちの好きにやれるように縛りを外したいということだけだ。 北朝鮮も中国も、まるで関係ないよ。

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト
trackbackURL:http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/tb.php/2858-10eee245