
ビクトル・エリセが「ミツバチのささやき」から10年後に作った第二作目の映画。この映画を見たのは30年前だった。当時は独身だったし、父親と娘の関係なんてよくわからなかった。父役のオメロ・アントヌッティは随分老けている印象だった。今、自分がこの時のアントヌッティよりもずっと年上になり、娘もいる身になった。でも、見方が何か変わったかと言われると、よくわからない。ただ、見終わって胸潰れる思いがしたのは、映画の内容だけではなく、この30年の年月を思ったからだろう。
父と娘の関係を描いた映画だが、娘は7、8歳の時と15、6歳の時で俳優が変わる。特に幼い時の父は魔術師である。振り子を使って、生まれてくる自分を女の子だと言い当てたり、荒野の中を水脈を探し出したりできるし、部屋にこもって何かの実験をしている。
だけど娘は、父がどうやら過去にスペイン内乱のせいで別れた女性を未だに忘れられないらしいことに気がついてしまう。そして父がそれに悩み続けていることも知る。
この後、この7、8歳の娘が自転車で並木道を去っていき、その同じ画面で今度は向こうから15、6歳になった彼女が戻ってくるというシーンの素晴らしいこと。この映画はこれ以外にも、シーンの転換場面が素晴らしい。
15、6歳になった娘はクラスの男の子に恋されている。子供の頃によく遊んでいた庭のブランコもすでにない。父の魔術の象徴のような振り子も、すでに使わなくなったと言われている。ここら辺の娘の父親を見る目の変化の表し方が素晴らしい。彼女はすでに父親を魔術師ではなく、普通の人間、過去の恋に苦しめられている一人の人間として見ている。そして、最後、少女は父が決して戻ろうとしなかった南の地、つまり父の過去へ向かう決意をするところで終わる。
映画の各シーンの密度の高いことは、「ミツバチのささやき」以上だと思う。室内のシーンでは微妙に光加減が変化して行き、実に美しい。聖体拝領のシーンで、教会を嫌っていた共和派の父親が柱の陰から姿を表すシーンの光と影のコントラストなんか、ものすごい立体感のあるシャープさ。
「ミツバチのささやき」でも、舞台にはスペイン内乱が影を落とし、父親は共和派の支持者だったことが暗示されるシーンがあるが、「エル・スール」ではもっとはっきりと、父が共和派の支持者で、そのせいで監獄に入れられたことがあると言われている。
この映画の続編として、亡き父の足跡を辿る娘の話が映画になっても良かったんじゃないかと、そんな気がした。

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