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すでに国の体をなしてない

2017.04.05.08:48

昨夜、ニュースを見ていて、さすがに血圧が上がった。今見直しても、冷静な気持ちでは見られないので、動画を貼り付けるのはやめる。これまでもデタラメなことを言い続けてきた内閣だったが、福島の自主避難は自己責任、国の責任を認めた判決が出ているというのに、訴えたいなら訴えればいいという開き直り、記者を恫喝して席を立ち、最後にうるさいと怒鳴って消える。自分の職務をどう考えているのだろう。いうまでもなく国の政策の失敗により避難せざるをえなくなった人を自己責任と言い放ったのである。

要するに、あの大臣は復興大臣という肩書きを背負いながら、復興のことなど真面目に考えてこなかった。これまではきっと馴れ合いの質疑しかなかったのだろう。通り一遍のことを言ってればそれでなんとかなったのだろう。その意味では、あの記者の勇気に敬意を払いたい。

ただ、気になったのはあのやり取りを見ていた他の記者たちのことだ。彼らはあのやり取りをどのような気持ちで聞いていたのだろう。あんな傲慢無礼な大臣の態度を見て、何の言葉も発しなかった他の記者たちは、どんなことを考えたのだろう。

……追記
しかし、北朝鮮は実に「素晴らしい」タイミングで騒動を起こしてくれますなぁ。金正恩がどこまで考えているのか知らないが、結果から見る限り、彼は日本が極右国家のままの方が都合がいいと思っているのではないか、そう思えてくる。



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comment

アンコウ
ミニさん、

2度読み直しました。完全に同意いたします。

読む人のたいして多くない拙ブログのコメント欄に書いていただくにはもったいない立派な文章だと思います。多くの人がこの文章に目をとめていただけるといいのですが。。。本当に、雑誌や新聞に投稿なさってみたらどうでしょう。

本当にどうもありがとうございました。
2017.04.22 10:49
ミニ
2011年から3年間、夏になると、福島・宮城・岩手の被災地の海岸沿いをバイクで野宿しながら北上しました。ダンプがひっきりなしに走り、ガレキはどんどん片付いていくけれど、何もない更地になるだけで復興なんて永久に無理だろう、と思われる所がほとんどです。

福島の避難地域は、汚染区域が変更されて広がったためか、初年度は飯館村を通れましたが、次年度はより遠くを迂回しなければなりませんでした。
国道6号の通行可能区域はどんどん延長され、今では密閉された車なら全線通れるようですが、3年目に行った時も、最北の通行止め地点では、路肩にバイクを止めて道端に座ろうとすると、警備の警察官が地面は放射線が強いから座らない方がいいと忠告してくれました。文字通りのゴーストタウンが広がっていました。
何兆円もかけて盛んに行われていた除染作業なるものも、放射性物質の場所をこっちからあっちへと少し動かしているだけで、放射線量が大幅に減っているわけではないようです。黒い大きな袋の山があちこちに増えてはいきましたが。

放射能の恐いのは見えないという不安と恐怖だろうと思います。政府や自治体や学者がいくら安全です、と言っても、今までたくさん嘘をついてダマしてきたこと(首相なんかはオリンピック誘致でも世界に向かって堂々と大嘘をこきました)を考えると、にわかに信じることは無理でしょう。そもそも「原発は絶対安全です」と政府と電力会社と御用学者とマスコミはそろって言っていたのに、現実には取り返しのつかない事故が起きたのですから。
まず、旅行などで通り過ぎる人間と、何年何十年とそこに住む人間とでは受け取り方がまったく違います。同じように、200キロ離れた東京に住んでいる政治家や電力会社やマスコミ連中と、地元福島の原発近くに住む人とは違うはずです。

浪江町や双葉町や大熊町や富岡町などの帰宅困難区域でなくても、たとえ普通に生活しているように見えるいわき市あたりでも、子育て中であったり、これから結婚して子供を産むという若い人であったりすれば、本当に100%安心安全か、と言えば、わからないのではないでしょうか。飯館村だって風向きのせいで後から一部住めない土地になったのですから。
風や雨を心配して、屋外の土の上で思いっきり遊べない子供たち、というのは不幸です。何十年後に何か出てきても、誰も責任なんて取ってくれませんし、真相もわからないままでしょう。
ですから、幼い子供を抱えた母親が、少しでも安全な場所へ子供を逃がしたい、と思う気持ちを責めることは誰にもできません。金持ちがカネにまかせて海外に逃げるのとはわけが違います。
先の長くないようなジジイの私から見れば、過剰反応と思われるものでも、本人たちから見て安心できない環境となれば、避難するのは自然です。それをとがめることは決してできません。黒澤の「生きものの記録」の主人公を、日本人なら笑ったり非難したりできないのと同じです。

問題になっている、国の政策で自主避難者をどこまで救済すべきか、という点ではある程度の線引き(所得制限など)は必要だとしても、最大限の救済を長期にわたって行うべきだと思います。
相手は放射能ですから6年で終わりなんて早すぎます。自分で勝手に逃げたのだから「自己責任」だ、という論法も乱暴極まりない弱者切り捨てです。
2004年のイラク人質事件から起こったこの「自己責任論」は、日本と日本人の腐敗と堕落を象徴する非倫理的なものだと思います。昔の武士的な日本人の倫理観からは想像できない愚劣さです。弱い者、苦しんでいる者は攻撃しない、これは最低限のルールでしょう。政府・マスコミ・右派連中がやったことで、日本は品位を落とし、現政権が江戸幕府並みのレベルだと世界に示しました。

原発がなければ津波が来ても原発事故は起きなかったのですから、危険物を設置し平穏な生活を奪った責任はあくまで国と東電にあります。
ですから、30キロ圏内の避難指示区域や避難準備区域(いわき市の一部も入る)からの避難者も、避難を強制された区域住民に近い処遇でも本当はよいくらいです。実際、住宅補助以外で経済的な賠償などほとんど受けていないのですから。
避難者の子供でも大人でも、悪質ないじめを受けているのはほとんどが自主避難者です。日本社会の、お上に倣え、お上にたて突く奴はやっつけようという権力迎合の下劣な風潮の現れでしょう。
原発廃炉と同じくらいの期間で考えて、50年とか100年とかでもいいのではないか、とすら思います。1885年ころから問題化した足尾鉱毒事件だって130年以上経った現在でも影響は残っていますし、原状回復もしていません。土壌汚染は、空気や水よりはるかにたちが悪いようです。

原発事故をなかったことにしたい、少しでも影響を軽く見せたい、国民には忘れてもらいたい、という政府の思惑から見ると、故郷に帰らない自主避難者はジャマモノ・余計者です。お上にたて突く不届き者ですから、権力者のだまれ、出て行け、と言いたい気持ちはわかります。
国にとって住宅補助の経済的な負担なんて、除染作業や廃炉にかかる何十兆というお金や防潮堤やかさ上げや移転などの復興予算の超巨額さから見れば、まさに微々たるものでケタが4つも5つも違うはずです。だから、カネの問題ではなく、その存在自体が目障りで消したいのでしょう。完全支配の翼賛社会をめざす安倍内閣としては当然の発想です。
2017.04.22 00:43
アンコウ
若月様、

コメントをありがとうございます。うん、僕の方も上手く考えがまとまっているわけではありません。思いつきで書いているだけなので、その点は言葉足らずになるだろうし、考えを改めるべき点も残っているかもしれません。

どこで線を引くかの話になると、行政の専門家ではないので、具体的な話は僕の手にはあまります。ですが、何よりもまず第一に強調したいのは、逃げている人は逃げることで何か得(とく)をしようとしているわけではない、逃げていることで、少なくとも通常の生活を送るよりも精神的には余分なストレスを感じ、物理的にも余分な出費をしているということです。だから、国からの補助が具体的にどのぐらいの額なのかは知りませんが、逃げていることで被る不利益に金持ちも貧乏人も差はないでしょう。

そして繰り返しになりますが、逃げなければならなくなった原因は彼ら自身にあるわけではありません。原因は国にあります。その国を代表する大臣が、すでに国の責任を認める判決が出ていると言われて、それじゃあ裁判をすればいい、なんて開き直るのは無責任でしょう。国の話なのに、あの大臣は自分が否定されたかのごとく怒って怒鳴ってしまった。質問した記者が意図的に言わせたのかどうかなんて関係ないと思います。記者が食い下がったのは、福島が中心になって、という大臣の言葉に対して、国の責任を認める判決が出ているが、国としてどうなのか、福島だけでいいのか、という質問だったのに、国の立場を代表する大臣が、自分個人の人間性を批判されたように激高してしまった。これは20世紀なら一発退場だったと思います。

もちろん物事を決めるときやランク付けをしなければならないときには、どうしたって線を引かざるをえない。59点では不合格だが60点なら合格というのは、当事者にとっては理不尽な話です。この線からこっち側には補助を出すけど向こう側には出さない(福島は出すけど栃木だとダメ)というのも同じことでしょう。この時に問題になるのは60点が合格点という根拠だし、この線の向こうとこちらを分ける根拠でしょう。それをサイエンスとエビデンスとおっしゃるわけでしょう。若月様は放射線の専門家だということで、ご自分の見識で国のいうことが信じられるとおっしゃるのかもしれませんし、政府はそういう線引きをする立場にあるというのは、その通りだと思います。

ただ、その範囲から外の人を「自己責任」ということに、僕は個人的には怒りよりも不安を感じます。「自己責任」と言えば、それでもう困っている人たちのことを考えなくて済むような、そんな魔法の呪文(無論悪い意味です)のように、僕には思えるのです。

まだちょっとうまく整理がついていません。もう少し考えたいと思いますが、しかし、何れにしても、自主避難を「自己責任」といってしまうことには、国のいうことを聞かないなら勝手にすれば、と言われているような嫌なものを感じるのです。国のいうことが本当に信じられるのなら、それでいいと思います。ですが、今のこの国の政府がいうことをそのまま信じていいのか? というのを考えた時、ここまでの嘘と強弁とごまかしの数々を見れば、とても信じられない、というのもある意味で納得できる話だと思うのですが。

一つだけよくわからないのですが、エビデンスと書かれていますが、放射能のことに関しては、同じだけ放射線を浴びても大丈夫な人とそうでない人がいるようだし、エビデンスと言えるほどのものが本当にあるのでしょうか? 私は文系人間なので、サイエンスとかエビデンスと言われても、何かそれで切り分けていいのか、と思ってしまうのですが。
2017.04.21 02:21
若月
アンコウ様
返信コメントありがとうございます。
自分もあまり考えがまとまっていない感もありますが

まず率直に反論的なコメントからになってしまい申し訳ありません。

海外へ逃げられるお金持ちまで支援するべきかとは極端な話とのコメントですが、あくまで極端な例を挙げただけで、これは程度の差こそあれ群馬から関西に逃げるのも、福島市から関東に逃げるのも、相馬市から福島市に逃げるのも、全て自主避難であって、程度の差や財力の差はあっても、みな放射能に対する恐怖から逃げていることは代わりがないと思います。全くお金がなく逃げられない人から見れば海外に逃げている人も、関西に逃げている人も、関東に逃げている人も同じです。
政府がこれらの人に支援をするのであれば政府はどこかで線を引かなければならないのではないでしょうか?それが弱者切り捨てというなら弱者の基準はなんなのでしょうか?「福島から県外に逃げられる時点でそれなりの財力がある弱者ではない」とも考えられるのではないでしょうか?

アンコウ様の「国は国民がどういう危難に陥った時に助けるべきか、ということを考えていくと、国は何のためにあるのか、という問いにも行き着くと思います。それは国を司る人達や金持ちたちが威張るためにあるのではなく、弱い人たちを助けるためにあるのだ、というのは僕のブログのエピグラムに書いてある通りです。これは僕の信念です。」
大いに理解できることだと思います。ではとはどこで線を引くのでしょうか?例えば生活保護の問題もどこかで線を引かなければならず、希望する全ての人に生活保護の支援をすることはできないと思います。


どのような人に支援をするべきかどうかを分けることは非常に難しい問題で、おそらくどこで線をひいて分けてもどこからかは不満・不平の声が上がると思います。
そのためにも分けるための線を決める根拠になるべきことが自分は客観的なサイエンスでしかないとの考えです。
もちろん政府を信用しない人は政府が掲げるサイエンスは正しくない、あるいは恣意的だというのもわかりますが、仮に恣意的であってもサイエンスはサイエンスであってエビデンスのあるものがサイエンスです。
もちろん政府は政府の都合であったり財源であったり、現実的に可能な範囲で線を引かなければならず、今回のように完全に定まった根拠のない問題では、政府の方向性にあった必要な根拠(サイエンス)を持ち出している現実は十分に理解しております。

小池都知事の築地移転の問題を出して申し訳ありませんが、築地から豊洲への移転の問題で、安全ではあるけど安心は得られていないから移転を先伸ばししているとのコメントがありましたが、決定を行う政府がこれでは大きな問題と自分は考えます。
政府の方針に批判をする人はサイエンス・エビデンスのない感覚的な問題で批判しても構わないですが、政府はやはり何らかの根拠を示すべきだと考えております。アンコウ様のコメントのように「サイエンスという言葉をお使いですが、政府が大丈夫と言っているんだから戻るべきだ、という意味でしょうか? ですが、政府が大丈夫と言ってるとしても、自分の子供のことだと思えば、ああそうですか、とホイホイ戻る気には、私だったらなれません。」という感覚は自分も子供のある身として理解できますが、政府の方針がこのような感覚で判断してもらっては困るというのが正直な気持ちです。

後出しの様で申し訳ありませんが、自分は放射線関係の専門家です。自分から見て、政府の福島の放射線被爆に関する見解は世界の一般的な放射線の常識からは全く外れていないものだと考えております。
その常識をベースに避難指示区域を設定して、そこの住民には支援を行って、区域外から県外へ避難している住民に支援を行わないというのは政府の判断としては非常に理にかなった現実的な判断だと思います。全ての希望する人に生活保護が行えないのと同様に。

最後に自己責任に関してですが、自分もアンコウ様の考えには同感いたします。自己責任という言葉は他人や政府が人に言う言葉ではなく、自分が決断する際に覚悟をするための言葉だと思っております。
大臣をかばうわけではありませんが、ただ今回の会見に関して会見全部を動画で見ましたが、自己責任と大臣が自ら能動的に出したわけではなく、質問した記者が自己責任と言わせたところがあると思います。もちろん最終的に口に出した大臣が一番問題ですが、自分個人としてはあのような質問の方法を行う記者を正直軽蔑いたします。

雑文・長文で申し訳ありません。
2017.04.21 00:56
アンコウ
若月様、

始めまして。コメントをありがとうございます。

まず、この問題の前提として、自己責任という言葉を聞くと、僕などはまず弱者切り捨てを正当化するための理論、という印象を受ける、ということを言っておきます。

若月様がいうのは、自分で勝手に逃げたんだから自己責任だ、ということなのでしょうけど、逃げざるをえなくなった理由は国策による原発推進です。そうした政府の責任は問わず、その政府のおかげで逃げざるをえなくなった人たちに対して自己責任を問うのは、どう考えてもおかしくありませんか?

サイエンスという言葉をお使いですが、政府が大丈夫と言っているんだから戻るべきだ、という意味でしょうか? ですが、政府が大丈夫と言ってるとしても、自分の子供のことだと思えば、ああそうですか、とホイホイ戻る気には、私だったらなれません。

国は国民がどういう危難に陥った時に助けるべきか、ということを考えていくと、国は何のためにあるのか、という問いにも行き着くと思います。それは国を司る人達や金持ちたちが威張るためにあるのではなく、弱い人たちを助けるためにあるのだ、というのは僕のブログのエピグラムに書いてある通りです。これは僕の信念です。

ちょっと理屈っぽいことを言いますが、憲法25条には国は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障すべしとありますし、13条の幸福追求権を考えれば、家を捨てざるをえなかった人に対して、国が税金を使って支援するのは当たり前の話だと思います。

海外へ逃げられるほどの東京のお金持ちまで支援すべきか、というのはちょっと極端すぎる話です。そうではなく、原発の近く、専門家の中にも、幼い子供にとってはどんな影響があるかわからないと言っている人がたくさんいる、そういうところに、戻るのは嫌だというのは、我がことだと思ってみれば、当然のことだと思います。支援のあり方を具体的に知っているわけではありませんが、本来の自分の家を捨てなければならなかったのですから、代わりに住む家の家賃補助ぐらいは当然すべきでしょう。彼らは何も遊んで暮らせるような大金をもらっているわけではないでしょう?

逆に若月様は、なぜ支援すべきではないとお考えなのでしょう? つまり、「自己責任」という言葉を一旦なしにしたら、放射能に不安を感じて自分の家に戻らない人たちに、国がお金を出すべきではない、という根拠は何なのでしょう? 

国というのはいろいろなところに補助を出し、お金を出し、国民を支援しています。そんな中でなぜ彼らには出すべきではないのでしょうか? 極端なことを言えば、原発事故は国策による被害ですが、国策の被害者とは言えないように思われる地震の被災者はどうでしょう? 火山噴火で逃げた人たちは? 彼らにも支援などする必要はないでしょうか?

自己責任という言葉は人々の間に随分と広まってしまいました。20世紀の国語辞典にはこの言葉は載っていなかったという話をどこかで読んだことがあります。だから、現在の弱肉強食の競争社会なればこそなのだろうと思います。

競争すれば、必ず脱落する人は出ます。ましてや、今の格差の時代、競争以前にスタートラインがすでに違っているケースも多い。彼らが脱落した理由を本人の努力不足と片付けてしまうことに、今の社会は慣れすぎているように思います。

この考え方は単純すぎてわかりやすい。同時にこの考え方を取れば、脱落したものたちを救う必要性も無くなる。脱落したものを助けるのはエネルギーがいりますし、なぜ彼らが脱落したのかを考えれば、きっと、そこには単純に自己責任なんて言えない複雑な要素が絡み合っていることでしょう。

要するに、自転車レースなら、落車に巻き込まれても、そこにいた自分が悪いと考えることもできるでしょう。落車も想定の上で参加したんだから自己責任と。。。しかし、当たり前ですが、人生は自転車レースではありません。

うん、ちょっとうまく説明できたかどうか、心もとない思いもあります。この件、少し考えて、また書いてみようと思います。何れにしても自己責任という言葉を、僕はとても嫌な言葉だと認識しています。何より強者がこの言葉を発し、なおかつ、自分の責任は取らないという現在社会の有り様を見る限り、この言葉で踊らされている強者ならざる人々の気持ちが、正直に言って理解できないでいます。

若月様の再度のコメントをお待ちしています。
2017.04.20 22:42
若月
ロードレースが好きでこのサイトをたまに見ているのですがコメントさせてください。
自分個人としては受け答えとかは抜きとして自主避難している人が自己責任は当たり前では無いでしょうか?むしろいままで支援をしていたことに驚きました。自主避難に支援をするのであればどこまで支援をするのでしょうか?極端な話ですが東京在住で海外に自主避難をした人にも支援をするべきなのでしょうか?
その線引きのためのサイエンスであって、政府はサイエンスにのっとって支援をする範囲を決めるべきでは無いでしょうか。サイエンスによらず自主避難をしているのであればやはり自己責任ではないでしょうか?
2017.04.20 21:15
アンコウ
あるふぁさん、

血圧はなかなか下がらないですよ! プンプン) で、キッテルが勝ったのはいいんだけどLiveStreamがいまひとつうまくつながらず、やっとつながったと思ったらゴール直後、キッテルのインタビューはやってましたが、どうも同じ画面がループのように繰り返され、ゴールシーンも再生されるんだけど、なぜか途中で止まって音声だけになってしまう。余計ストレス溜まりましたわ 笑)

しかし、クイック強い。キッテルが勝ったのはいいけど、ボーラが全然勝てません。ミルラムの最後の年を思い出して、ちょっと嫌な予感が。。。笑)
2017.04.06 12:22
アンコウ
ミニさん、

嘘を聞いて安心したがっているというのは納得です。でも、ちょっと冷静になれば、おかしいことに気づきそうなものだけど、何がそこまで彼らを近視眼的にしているんでしょうね。何か不満があれば権力側へ怒りが向かうのが普通だと思うのだけど、彼らは自分より弱いものに不満をぶつけている。あたかも自分たちが権力者の一部にでもなったかのように威丈高だし、ある時ハッと目がさめるんじゃないかと思って説得しようと考えていたんだけど、そういうものではなさそうです。

しかし為政者としては楽ですよね。自分たちが悪い政治を行えば行うほど、人々の不満は募り、それを自分より弱いものへとぶつけてくれる。与党の政治家たちは、良い政治を行おうという気持ちも失せることでしょう。

中国や北朝鮮との関係を修復せずに、逆にあれらの国は危ない危ないと言い続ければ、それで人々は勝手に排他的になってくれる。軍需産業も潤うし、人々の危機意識を高めておけば、自分たちの権力を守るための法律を次々に強行できる。

要するに悪政を敷くことで自分たちの利権も権力も守ることができるんですから、連中にとっては楽チンな国民ですよ。
2017.04.06 00:51
あるふぁ
Scheldeprijsでキッテルが優勝しましたね(でもさすがにベルギー、ボーネンの方がインタビュアーが多い!)
ちょっとは血圧下がりましたでしょうか
バスクのレースでもクイックステップの選手が優勝してました
2017.04.06 00:40
ミニ
私らの年代の者から見ると信じがたいことですが、最近の若い人たちには、権力に歯向かうことは悪である、という感覚が身に染みついている面があります。文科省教育と右派マスコミの長い間の努力のおかげだと思います。
自由と平等を最上の価値ととらえる立場で言えば、「権力=悪」なのですが、お上の言うことに素直に従う、多勢の意向やルールとやらに盲目的に従順で、そこからはみ出す者を狭量に排撃するという特色があります。

今回の事件への反応も、記者が工作員(どこのか知りませんが)である、というウソを聞いて安心したいのでしょう。自分たちにとっては神のごとき日本国の権力者に盾つく不届き者が外国の回し者であったとなれば、彼らは彼らなりに納得できますからね。日本で起こる兇悪な犯罪はすべて、どこかの国の人間のしわざだと言って安心するような、自信のない幼児的な日本人ですからね。でも、この幼児が一番たちが悪いし、日本をダメにする。
2017.04.05 22:21
アンコウ
ミニさん、

ネトウヨによると、例の質問した記者さんは工作員なんだそうですよ。もうどうしちゃったんだ? この国は?? 嘘でも構わない、すぐバレても構わない、ということなんでしょう。そもそも仮に工作員でもあの質問の内容は至極まっとうなことでしょう? 国民を見捨てるのか!と言ったわけですよ。あの質問は、仮に質問者がトランプでも金正恩でも、関係ないでしょう。質問したものが誰であれ、公的な場でその質問に答える義務があるはずだったのに、あの態度は許されるものではないです。ネトウヨたちはあの傲慢な態度に自らを重ねて溜飲を下げているのでしょうかね?全く理解できないことです。
2017.04.05 21:17
アンコウ
あるふぁさん、

いったいこの国はどうしちゃったんでしょう? 権力ある人たちは間違っても責任取らないのにね。しかもそれに人々は不満を感じていないようです。自分たちはいつ自己責任だと言われて切り捨てられるかわからないのにね。
2017.04.05 21:09
ミニ
この国では、純粋な自然災害の被災者は、分相応で殊勝な態度をしていると見なされる限りでは、可哀そうな人々と同情され恵みを施される。
が、原発事故という政府がからんだ人災の被災者は、世の平安を乱すジャマ者として、権力とその追随者にはその存在自体が敵視されるようだ。
国の姿勢そのものが、世の平和と安心を脅かす異質のものとして原発避難者を忌避し、いじめ、排除するようになっている。そして権力翼賛のネトヨ類がそれを後押しする。
ああいう露骨な権力者がこれからもっともっと増えていくのだろうか、と思うと暗澹とする。
2017.04.05 21:01
あるふぁ
国が自己責任と言いだしたら
国の存在価値が有りませんと言ってることなのに
と言うことは
そう言うあなた達も存在価値が無いということです
2017.04.05 15:05

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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