稲田が「教育勅語の精神、取り戻すべきだと今も思う」と国会で答弁したそうだ。朝日のデジタルからコピペする。
稲田氏は「教育勅語の精神である日本が道義国家を目指すべきであること、そして親孝行だとか友達を大切にするとか、そういう核の部分は今も大切なものとして維持をしているところだ」と述べた。
http://digital.asahi.com/articles/ASK385H5KK38UTFK00M.html?rm=351相変わらず毎度おなじみの安倍政権の欺瞞的やり口だ。
ここで稲田があげた「道義国家」とか「親孝行」とか「友達を大切にする」という文言に反対する人はいないだろう。(最初の「道義国家」という言葉はわかりづらいけど、「道義」という言葉に「人として行うべき道」という辞書の意味を当てはめるなら、じゃあ道義国家じゃない先進国ってあるんですか?と聞きたい。)
だけど、こんなの教育勅語の精神ではないよ。ただの常識というやつだよ。教育勅語なんていうものを持ち出すまでもない。教育勅語がなければ、こんな常識も通らない国なのかい、日本は??
教育勅語の中の誰でも反対できない、ある意味当たり障りのない文言を引き抜いてきて、それを教育勅語の「精神」と称するところに、国民を小馬鹿にした見事な欺瞞がある。
教育勅語のキモはちょうど中央に出てくる次の文言だ。これはネットで調べればいくらでも読める。
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
(もし危急の事態が生じたら国のため力を尽くし、永遠の皇室の運命を助けるようにしなさい)
この部分を根拠に、かつての日本人は子供の頃から天皇のために死ねと言われたのだ。
このところ自民党の議員たちから出てくる人権否定発言はすべてここにつながる。いざとなれば天皇のために死ねるように国民を教育したいわけだ。
しかし、では人権を否定する議員たちはそれほどまでに天皇を敬っているのか?? 彼らが、あるいは彼らの親族が「一旦緩急アレハ」真っ先に先頭を切って死ぬ覚悟があるのか?
先日も安倍の後ろ盾と書いたけど、結局は天皇を御輿(みこし)に乗せて、つまり、
天皇を後ろ盾にして、自分たちのために国民は死ねという意味なのは、戦争の時のことを考えれば明らかだろう。
結局、一番トップは確かに裁判で裁かれたが、多くの責任者たちは戦後になったら知らんぷり(大西以外の特攻隊の責任者たちのことを思い出せばわかるだろう)。何しろ昭和天皇が無罪となったんだから、自分たちに罪があるはずないという図式だ。
教育勅語を取り戻すというのはこういうことだよ。ヘドが出る。
……追記 (2017, 3/9 22:04)……
いろいろ制限をかけても健気にそれをかいくぐって罵詈雑言、なんの意味もない言葉を書き連ねていくネトウヨの有田某のコメントは、あまりに無内容すぎるし、ただ自分の言いたいことを落書きしていくだけで、こちらの質問に答えてはこないし、つまり、一言で言って、「不毛」なので、今後どんな内容であれ、見つけ次第削除します。と書いている間にも、4つもIPアドレスを変えて、ただの「馬の骨」というだけのコメントとか、バカバカしいのが書き込まれました 笑) すでに削除しましたが 苦笑)
本来、わざわざ書いてきてくれるコメントは、コメントをくれた人本人から頼まれたもの以外、過去に削除したことはなかったんだけど(一つだけ例外として、最初の頃にあまりに差別的なことを書いてきた人がいたので、それは削除したことがありましたが)、あまりに不毛だし、私もそれほど暇人ではないのでね。
このブログを始めたばかりの頃はネット界の世間知らずだったので、ネトウヨといえどもきちんと話をすれば説得できるものだと思っていましたが、どうやら、そういうものではないことがわかってきました。これまでのコメントを検索してもらえば分かりますが、反論コメントには誠意を持って再反論してきたつもりですし、議論で負けたことはないと自負していますが、どうも、そういうレベルで説得できるものではないようです。要するに彼らの外側にある問題というより、内側の問題なのでしょう。
しかし、有田某、あれだけ「自転車レースに出たこともないくせに」と僕のことを罵倒してきたけど、この前の過去のホビーレースの話を読んだんでしょうね。これはちょっと溜飲が下がる思いです 笑)
…追記の追記(22:45)
相手をするからつけあがってくるんだ、向こうも相手にして欲しがっているだけなんだ、という話なので 笑)今後はこんな言い訳めいたことを書かず、単純に削除することにします。
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