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前世紀のホビーレースの話

2017.03.01.13:52

少し前にコメントを書いてきたネトウヨ氏は、何の前振りもなく、突然こんなことを書いてきた。

……
己は汗を流さずどこが自転車レースカテゴリーなの?
レースで称えあった経験もないくせに
レースに出たこともない奴が偉そう抜かすなよ。子供でも分かるぞこれ。
……

まあ、さすがにこれには反論しておきたいと思っていたけど、実家に戻らないと証拠写真もないのでね。というわけで、今日は恥を忍んで前世紀の写真です 笑) かのネトウヨくんが見てくれるといいけど 笑)

1985年頃から15年ぐらいにわたって、ホビーレースは50近くでていると思います。当時の入賞はだいたい10位までだったので、多分10回くらいは入賞、最高は昭和記念公園で5位になったのが一番です。

ただし入賞すると走らされる上のクラス(当時はチャンピオンクラスと言いました。そこで上位に入るとスーパーチャンピオンクラスで、そこでの優勝常連者は、藤野選手とか橋川選手とか、全日本クラスになってましたね。まあ、このクラスは僕より年上の中●仁さんとか大●和平さんとかもいて、もう雲の上でしたが)そのチャンピオンクラスでは完走がやっとでした。今でも覚えてるのは完走者63人の63位ってのがどこかでありましたわ 笑) 一人ちぎれてポツンとハアハア言いながら走っていたら後ろからバイクの審判が近づいてきました。え?僕が最下位ですか?って聞いたら、そう、やめます? と言われました 笑) なあに、リタイアが30人以上いたんだから胸張っていいでしょう 涙)

最後のレースは99年の昭和記念公園でのレースで9位になりましたが、この時は入賞は6位までだったので表彰されませんでしたね。

その後もレースには出たいと未練タラタラだったんですが、還暦を過ぎてしまい、以前にも書いたけど、高血圧の薬も飲むようになって、これは完全に禁止薬物ですのでね 笑)

ただ、先日、昔のチームメイトから、今年あたり耐久みたいなのにでも出ましょうよ、との誘いを受けて、ちょっと気になってます。

表彰式
これは西湖のレースで入賞した時の表彰式。一般の30代後半のクラスです。10位だったと思います。後列右端が私です。この時はチームメイトが4位になったのでした。彼からはスタート前に、ヨーロッパから持ってきたという怪しげなチューブをもらいました。ドーピングではなく、きちんと公認されているとのことで、しかも、ゴール前5キロを過ぎてから飲めと言われて、西湖のコースをご存知の方ならわかると思うけど、ゴール前2キロぐらいのところにある左直角コーナーの登りの直前でチューブの頭を食いちぎってギュッと押して飲んだら、手にかなりくっついて、ベトベトになりました 笑) 

しかし、あれってなんだったんだろう、未だにわからないんだけど。。。内容物は黒砂糖の液体状になったものみたいでした。ゴール後に見たらハンドルやブレーキレバーがベトベトでした 笑)

西湖のレースはある時期毎年必ず出てました。もう一回8位だったかになったことがあったと記憶してますが、15位ぐらいが多かったような気がします。これも以前書いたけど、集団落車があって、右側前方から波のようにバタバタと倒れてきて、僕のペダルに倒れた人のヘルメットがコツンと当たって、あ〜もうだめだ、と思ったら大丈夫で、ホッとして後ろを見たら、僕の後ろは誰もいなかった、なんてこともありました。

だけど、他にも前日、それまで全く面識のなかった方たちと意気投合して深酒。翌日完全な二日酔いでスタートということもありました。だいたい泊りがけだと、酒に意地汚いのでどうもロクなことがなかったですね 笑)三宅島のレースもアシタバの天ぷらがうまく、調子に乗って飲みすぎて、やっぱり二日酔いスタート。蔵王でもあったなぁ、あ、そういえば鳥海山のレースも、あれは第2回目かなぁ、そういうことがありましたっけ。 笑)。

昭和公園
こちらは昭和記念公園のレースかなぁ?日付が入ってないのでわかりませんが、やっぱり90年台の初めだと思います。わかりますかね、右フォークにユーレーのメーターが付いているんですよ。メーターは付けたいけど、クリケリオンのように登りではハンドルの中央部分を持ちたい、というわけで、このメーターはずいぶん長い事使いましたね。画面の部分が柔らかくて、押すと液晶が滲んじゃうというチャッチイものでしたが 笑) ただ、ハンドルにメーターなどをつけないというこだわりは今でも続いています。ブレーキワイヤーは出てますが 笑)

9c0d80c0.jpg
クリケリオン、登りではこうして左右の親指を触れ合わせるようにハンドルの中央を持っていました。これやってみると、確かにいいような気がしましたが、本当はどうなんでしょうかね?

ゴール
これはどこだろう?ゴール直後の写真だと思いますが、ちょっと太り気味の体型から、ひょっとしたら最後の方で出た99年の大井埠頭のレースかもしれません。この写真のポイントは自転車です。これクリケリオンのスプレンドールを模して作った奴です。今も庭に野ざらしになってます。ただし上の写真のクリケリオンは登りのためか、カーボンかアルミの黒いフレーム(ALANかなぁ?)にスプレンドールシールを貼って乗ってますね。

というわけで、ネトウヨ氏のおかげで、しばし懐かしい昔のレースのことを思い出せました。


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comment

アンコウ
CYPRESSさん、

そうか、24インチってそういう不利な点もあったのかぁ。まあ、24の方が有利だったらプロ選手たちも使うはずだろ?って所有者も言ってましたね。
2017.03.04 17:07
CYPRESS
24インチのチューブラはタイアはともかく、リムはマビックがGL330の24インチを出すまで真面なのが無かったんであります。
GL330になるとスポーク切れは無くなりました。
小径化するとタイアの周長が短くなり、そうなるとギア板を大きくする必要があり(アウターが57T~62T)。
となると問題はFメカ。
羽根の曲率と角度に問題が出て、使えるのがサンツァーのスプリントしかなかったのでした。
小径化は慣性が小さくなり、上りでは有利ですが、下りと平地では不利。
皇居で貸してもらって一周走ったら、下りで全く休めず。
平地で少し力を抜くと直ぐに前を行く人との隙間が広がる。
と言う訳で、レースで使うのはかなり辛いね。
2017.03.04 13:43
アンコウ
あるふぁさん、

ちょうど紅葉の季節で、車で行くと帰りは必ず大渋滞に巻き込まれました。でもレース以外にもとても楽しい思い出です。富士山が綺麗で、紅葉で、コースからちょっと外れて山の方へ行くと、車も少なく、本当に気持ちが良かったです。今もやってるのかなぁ。一昨年、「英雄」というクロモリ自転車の祭典みたいなツーリング会に参加したんですが、この西湖のコースを一部走って、懐かしかったです。

いや、つい、ネトウヨ氏の挑発に乗ってしまって 苦笑)お恥ずかしい限りです。
2017.03.03 15:15
あるふぁ
80年代後半は一時富士五湖地方に住んでいたんですが
西湖のレースは知りませんでした
アンコウさんに比べたら
にわか自転車ファンなので
当時は深夜にツールのダイジェストを見る程度
でした
2017.03.03 14:16
アンコウ
okorinさん、

こんにちは。初めまして。千葉ニュータウンのレースですね。僕も出ました。ただし、一般クラスで50キロぐらいだったと思います。鉄人と同じクラスということは、okorinさんは100キロの部(チャンピオンクラス)ですね。確か、ホビーレース初の100キロコース!というのが盛んに言われていたんだったと思います。いやいや、okorin さん、僕なんかよりずっと強そうですね。

そう鉄人はあれは24インチのロードじゃなかったかな。テストで1年使い続けると言って、あの年はレースもツーリングも全てあれで出てました。ただ、きっかり1年で辞めたはずです。スポークがよく折れるのと、タイヤの減りが早く、何より格好悪いと本人は言ってました 笑)

さて、おっしゃるように、無線がなかった時の方がレースが破天荒な展開になりやすかったですよね。今は管理が行き届いて、役割分担が厳格に決められて自由に走れなくなっちゃったようだし、しかも選手一人当たりの出場レースが少なくなったから、みんな手を抜かないし、そういう意味ではイノーみたいにクラシックも勝てばグランツールも勝ち、世界チャンピオンにもなっちゃうなんていう超スーパースターはもう出てこないでしょうね。何しろ、シャンゼリゼでマイヨ・ジョーヌ着て優勝しちゃうんですからねぇ。顔も魅力的でしたし。

どうぞ、今後ともよろしくお願いします。
2017.03.02 10:05
okorin
はじめまして。随分前から読ませて頂いていますが、コメントは初めてです。
アンコウさんて豪脚ライダーだったのですね!しかも●ン●デ●ラ●ダ●スだったのですね!!
表彰台の写真、後列左端は鉄人さんですよネw
私、ツール・ド・ジャパン'86の千葉ステージで鉄人さんと同じカテゴリーだったのですが、●るしまの選手が先に逃げていたのを、前後アマンダ26インチ?ヒノキディスクホイールのロードに乗っていた鉄人さんが「一人逃げてるからさ、皆で追おうよ」と言ってたのに誰も乗らなかったので、鉄人さんがイラッとしていたのを今もハッキリ覚えていますw(私も乗らなかった一人でしたwww)
先日、Jスポでイノーとレモンの86年ツールでの確執についてのドキュメントが放送されていて、懐かしく見てしまいましたが、無線の無い時代のレースこそが、選手個人のあらゆる力量が反映される人間vs人間の生々しい戦いだったような気がしました。そして、それこそがスポーツの本質のようにも思えました。
これからもステキなエントリーを期待しています~蛇足ですが私は今もイノーの大大ファンです。
2017.03.01 23:55

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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