昔、友人の家で見たオペラ「フィガロの結婚」のレーザーディスク、現代を舞台にアレンジして、舞台はトランプタワーとなっていた。セレブ達を揶揄する造りになっていたんだけど、ちっとも面白くなかった 笑)
さてさて、何かと物言いが狂気を孕んでいる節が見えなくもないアメリカ大統領ですが、なんと、その若かりし日に自転車レースに関与したこともあったのでした。rsn のニュースに出ていた記事を元に、手元にあった資料も交えて、ちょっと昔へタイムスリップしてみましょう。
もともとアメリカにはクアーズ・クラシックというステージレースがあって、大都市のクリテリウムなんかも挟んでアメリカンなレースとして日本でもビデオなんかがずいぶん出回っていました。日本からも参加していたはずです。
それが88年を最後にビール会社のクアーズがスポンサーを下りて、そこに登場したのが今をときめくトランプ閣下。89年5月に10ステージでツール・ド・トランプの名称でレースを開催することにしたのでした。rsn にはこの経緯がかなり詳しく載っているのですが、面倒臭いのでカット。
何しろ大西洋を横断してヨーロッパから選手を呼ぼうというわけで、しかも主催者が桁違いの大富豪トランプですからね。賞金総額を桁外れの額にしたそうです。で、当時の人気選手のエリック・ヴァンデラールデンや88年ツール2位のステフェン・ロークス、ジロの優勝者のアンディ・ハンプステンやまだソ連のアマチュアだったエキモフ、それに何より、猟銃事故からの復活を期すグレッグ・レモンら、バリバリのヨーロッパのプロ選手たちが結構集まりました。
この時優勝したのが、ダグ・オット・ラゥリッツェン。あの宇都宮での最終回、逃げていたのに振り向いたデ・ヴォルフと絡んでコケた選手ですね。市川選手がのちに、あの転倒がなければ優勝していたかもしれないとまで言ってましたが。
古いサイスポの切り抜きを引っ張り出したら捨てずにありました。いろいろ捨ててしまって、後悔しているものもたくさんあるんですがね 笑)これは残ってました。

こんな写真も。

続いて89年に第2回ツール・ド・トランプが開催されます。今度はスケールアップして、全13ステージ、トランプが願ったツール・ド・フランスに対抗できるアメリカのレースも、規模の面だけなら実現可能か、と思わせたのでしたが。。。
で、この最後のツール・ド・トランプで優勝したのが、メキシコ人のラウル・アルカラ。レース展開などは下の写真の記事を見ていただくことにして、何しろ今回は前年奇跡の復活でツールに優勝したレモンが出場でしたからね。他の参加選手たちも、前年に引き続きヴァンデラールデンやロークス、ブロェキンク、旧東独から鳴り物入りでプロ入りしたオラフ・ルートヴィヒら、欧州トッププロ選手も多数参加しました。
この頃からトランプにメキシコに対する差別感があったかどうかは知りませんが、結果的にメキシコ人のアルカラ(この選手もツールでは総合争いに絡む強豪選手でしたし、ステージ優勝もしています)が優勝したので嫌気がさしたか 笑)、トランプはこの年でスポンサーを下りてしまい、このレースは以後、96年までツール・ド・デュポンの名称で続くことになります。
まあ、実際にはこの頃からトランプの不動産取引や、週刊誌ネタとして大いに話題になった離婚問題などネガティブなイメージが強まったことなどで、レースのイメージが悪くなったことで、レースの主催者が別のスポンサーを探すことになったらしいんですがね。
こちらもサイスポの切り抜きが残っていました。ただし二回目になると扱いはベタ記事ですが 苦笑) レモンについてが面白いですね。今となってはレモンの言葉通りになったわけで、ある意味でアームストロングが後に続く「ツールに勝てばあとはいいや」という悪しき伝統の始まりですが。

……追記(2017、2/8、11:20)
何れにしても、今のトランプのメキシコに関する発言を聞く限り、かつてツール・ド・トランプでメキシコ人が優勝したのは痛快であります。
なんとなく最近映画になった(まだ見てない)1936年のベルリンオリンピック、ゲルマン民族の優秀さを見せつけてやると息巻いたヒトラーやゲッベルスの目前でアフリカ系のジェシー・オウエンスが4冠王になったのを連想します。
よろしければ、下の各ボタンを押してくださいませ。

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト
trackbackURL:http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/tb.php/2802-e00c806b