こんなものがツィッターにあって、思わず笑ってしまった。
ただ、笑ってばかりいられない。
秘密保護法、安保関連法、原発再稼働、TPPの強行採決、カジノ解禁、そしてとうとう戦前の治安維持法を思わせる共謀罪、そして沖縄に対する強権的なやり方。頼みの経済だってアベノミクスとやらはどうなってる? 格差は解消された? 日本人は豊かになった? むしろアベノノミクスが失敗したんで原発や武器を輸出し、カジノで景気回復を狙っている節すらある。大統領選直後にトランプに尻尾を振りに行った姿だって、プーチンにいいようにあしらわれた姿だって、無様なものだった。
これが安倍でなければ、例えばこれが菅直人だったら、マスコミはすべてがこぞって大批判だっただろう。今になってみれば、あのマスコミあげての民主党政権にたいする大バッシングは、何らかの意志が働いていたことがよくわかる。何しろ、拙ブログでは何度も書いてきたけど、鉢呂という大臣は「死の街」と言っただけで辞任させられたのだ。
だけど、今のマスコミはこうした一連の政策や安倍の態度に何の批判もしない。
以前も紹介した森達也の比喩に、今はもうブレーキを踏むタイミングは失した、あとはどこかにぶつかるしかない、というのがある。これを読んだ時は、誰にでもわかる衝突を待つしかないのか、と思ったものだった。だけど、相模原の事件が起こった時に(これも書いたことだけど)、実はもう既にあちこちでぶつかっているのではないか、これから先もこうしてぶつかりながら、みんなすぐに忘れて(相模原の事件だってそうだ、その前の秋葉原の事件もそうだ)、また新たにぶつかりながら一直線に突き進み続けるのかもしれないと思った。
これから先、必ず自衛隊から死者が出るだろう、テロが国内で起こるかもしれない、差別や格差に基づいた大事件が起こるだろう。でもそれらはすぐに忘れられて行って、同じことが繰り返され、またすぐに忘れられ、そして同じことが繰り返され。。。そして誰もが目を醒ますような衝突は起きない。あちこちでちょっとずつぶつかりながら、正面衝突はせずにいつまでもこのままいくのかもしれない。
運転している安倍は後部座席や荷台に乗っている同乗者(国民)が少々ケガをしようが、振り落とされようが、どうやら構わないらしいのに、その同乗者は、と見ると、どうもしがみつくのに一生懸命で自分より不安定なやつ(弱い者)を蹴落とそうとしているように思えてならない。助手席にいて運転手を監視していなければならない司法やマスコミも、もっとスピードをあげろと運転手をけしかけているようだ。
荷台に乗っている者たちが団結して「ゴミ箱へ移動」をクリックなりタップなりしないといけないと思うのだけどね。

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