この映画のことは以前に死刑制度に反対の立場からちょっとだけ書いたことがあったけど、その時は見てからだいぶ経っていたのであまり細かいことまで覚えてなかった。今回見るチャンスがあって見直したけど、ロシア映画らしさ全開の、やっぱりものすごい映画だった。
多分ロシア映画って、古典的な芸術性が常に問われているんだろうという気がする。この映画も戦争のリアリティばかりが強調されているけど、それ以上に、ロシア映画特有の叙情性や、画面の内と、その外で見ている観客の関係を、いわゆる異化効果のように示すようなシーンが印象的だ。
冒頭に見られるような、アップの後頭部越しに写すシーンなどロシア映画ではお馴染みだし(ちなみにここで話されるセリフ、「遊びじゃないんだぞ」はこの映画のこととして考えたい)、走る人を後ろから手持ちカメラで追いかけたり、カメラ目線で語りかけてくるのも非常に印象的である。禍々しい死神のような双胴の偵察機や、不安をかきたてる鶴のような鳥の悠然と歩く姿、あるいは断末魔の牛の目のアップが次の瞬間照明弾の明るい円になるシーン、爆撃で吹き飛ぶ森の木々、跳弾する曳光弾や教会堂に村人を閉じ込めて燃やすシーン、煙たなびく村、そしてロシア映画特有の森林。そのどのシーンもが、叙情的であるとともにものすごく美しい。
ところで、初めて映画館で見た時から、気になっていたのはナチスの残虐行為に加担するロシア語を話す連中のことだった。ナチスが、占領した地域のファシストたちを大量虐殺の実行者として雇い、彼らはそれをドイツ人以上に熱心に行ったという話を幾つかの本などで読んでいたから、これがそういう奴らなんだな、と思っていた。
ところが、最近読んだティモシー・スナイダーの「ブラッドランド」と「ブラックアース」で、ポーランド東部からラトヴィア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナの地域が、戦争前にはスターリンによって意図的に飢饉が引き起こされ、餓死させられた。同時に、その地で我が身を守るために、ポーランド系市民や反ソ分子と目された人々の殺害に加わった連中が、今度はナチスに占領された時には、やはり我が身を守るためにナチスの元でユダヤ人虐殺に積極的に加わったということを知った。つまり、ドイツとソ連に挟まれた地域はソ連による飢饉やソ連秘密警察による虐殺が横行した時代にはドイツ軍がソ連に攻めてくることを願ったが、実際にドイツ軍がやってきたら、もっとひどいことになったわけで、ナチスにもソ連にも希望が見出せないひどい場所だったわけである。彼らの多くは決してファシストだったわけではなかった。
拙ブログで何度も繰り返してきたクレヨンしんちゃんのパパのセリフ、「正義の反対は悪ではない、別の正義だ」を借りれば、「悪の反対は正義ではない、別の悪だ」だ。うん、なかなかいい文句を思いついた 笑)
ソ連製の対ファシズム戦争映画というのは、例えば「ヨーロッパの解放」なんていう5部作ぐらいの映画もあるが(中学の時、クラスの戦争映画好きが集まって7、8人で一緒に見に行ったもんだった)、そこには祖国を裏切ったソ連人は出てこない。他のこの種の映画でも、ソ連の人間たちは皆、ファシズムに雄々しく立ち向かったことになっている。ある意味、ジョン・ウェイン映画と同じ単純さ。
その点、
以前ちょっと触れたゲルマンの「道中の点検」は、ドイツ軍に寝返った後に再びソ連軍に戻ってくる男の話だった。だからこそ、長い間上映禁止になったのだろう。つまり、ソ連の権力者たちにとってはナチスのために働いたソ連人がいては都合が悪かったし、一方で、実際にナチスのために働いたソ連人にとっては、それをなかったことにしたい。そういう点で利害関係が一致した、見事な
うぬぼれ鏡としての国策映画が出来上がる。
ところで、監督のエレム・クリモフという人は2003年まで生きていたのに、1985年のこの映画を最後に映画を撮っていないのが不思議である。そもそもが劇映画としては「ロマノフ王朝の最後」と「別れ」とこの「炎628」だけ。「別れ」は大昔NHKでTV放送したことがあった。ダム建設に反対する村人たちの話だったように記憶している。手持ちカメラが激しく動き、やたらとゴウゴウ火が燃えて、俳優たちの表情豊かな顔のアップが多く、その点では「炎628」と似ていた。
もう一つの「ロマノフ王朝の最後」も今は無くなってしまった巣鴨の三百人劇場で見た。こちらも確か公開差し止めか何かで、ソ連国内では上映されなかったんだったと思う。ロシア帝政末期の皇帝ニコライとその妻に取り入る怪僧ラスプーチンの話で、ものすごく立派な堂々たる映画だった。特にラスプーチンが殺される凍結した川の上のシーンは結構はっきり記憶にある。
上映できなかったのは皇帝ニコライが憎い圧制者ではなく、妻やラスプーチンに何か言われると、逆らうことも怒ることもできない、ただの気弱な泣き虫の男として描かれていて、見ている方が同情してしまうからだったんだろう。そういう監督だからこそ、「炎628」みたいな叙情性豊かでありながら、作る方も悪魔にならなければ作れそうにないような冷徹で残酷な映画が作れたんだろう。そういう意味ではこの監督の撮った映画をもっと他にも見たかった。
しかし、正月早々こんな映画の紹介かよ、という声も 笑)

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