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http://www.cyclingmagazine.de/2016/12/15/interview-fabian-wegmann-ueber-siege-traenen-kollegen-und-veraenderungen-im-radsport/いやぁ、忘年会が二日続きで、しかもそのうちの一つは小学校の同窓会。多分卒業後、クラス別の会はあったけど、クラス関係なしで集まったのは初めてじゃないかと思われ、中学卒業以来、一度も会わなかったような人もいて、つい飲み過ぎました。今週はこの後もう一つ控えてます 笑)他にもいろいろ忙しくって。。。苦笑)
ということで、Cyclingmagazine.de に載っていたインタビューの第二弾。
……
君が犯した最大のミスはなんだろう?
ヴェークマン: 難しいな。でもとてもよく覚えているひどい瞬間ってのがある。2003年のバスク一周だった。僕はダヴィデ【レベリン】のためにスプリントで発射台になったんだ。彼が僕のすぐ後ろにいることは見えていたから、思いっきり走って、これでワンツーだ、と歓声をあげて喜んだんだ。だけどその瞬間をバルベルデが利用して左から差し込んできて、僕らは2位と3位になってしまった。もう大失敗だったよね。僕はまだかなり若く、喜ぶのが早すぎたんだね。
レース後はどうでした。誰かが慰めてくれた?それとも叱責された?
ヴェ: もちろんみんな怒っていたさ。でも僕がむちゃくちゃ落ち込んでたのをみんな見たからね。誰も僕のことを非難するようなことは言わなかったよ。もし僕が、俺はやるべきことはやったんだ、すべてちゃんとやった、なんて言ったんだったら、みんなから説教されただろうね。しかし僕は自分でえらいことをしちまったとわかってたからね。みんな、励ましの言葉をかけてくれたよ。
キャリアで最も辛かった瞬間は? 最も苦しかったとか、泣きたい気分になった時は?
ヴェ: 泣きたい気分になった時? そりゃあ2008年のツールの最後から3番目のステージだ。そこでリタイアしなければならなかったんだ。ホアン・アントニオ・フレチャとロマン・フェイユと僕の三人で必死になったけどダメだった。ステージは山登りで始まったんだよ。僕らはすぐにちぎれてしまった。そのあと平地になったけど、とうとう追いつけず、一日中最後尾を走ったんだ。最後はタイムオーバーさ。僕のキャリアの中で最悪の時だったね。あの時はあらゆることが起きた。僕はこのツールで五回も落車したし、完全に終わってたし、本当に体調も悪かった。蕁麻疹になって、皮膚にアパクがあると発疹になっちゃったからね。足も手もむちゃくちゃ痒くなった。完全い終わってたね。最後は精神的にも終わっちゃったよ。ゴールでタイムオーバーだと知った時は、もう完全に死んだね。これが本当に苦しかった。特にパリまではあとTTとパリへ向かう最終ステージだけしかなかったんだから。これが最悪なのは間違いないね。
あなたにとって一番素晴らしいレースは?
ヴェ: 個人的には世界選手権だね。
なぜ?
ヴェ: とんでもなくスペシャルなレースなんだ。世界各地からファンが来て、雰囲気も特別だ。そうそう、僕にとってはヘニンガー・トゥルム【現フランクフルト~エシュボルン、ヴェークマンは二回優勝】も特別だったね。ツールは言うまでもなく最高だ。2005年の第8ステージでは地元プフォルツハイムスタートで、僕は山岳賞ジャージを着て走ったんだ。もう言葉にできなかったね。
ついた監督で最高の監督は誰?
ヴェ: ふーっ、これもまた難しい質問だね。クリスチャン・ヘンとは良い関係を築けたよ。彼とはいつでも同じイメージを共有できたわけではないんだけど、いつでもうまくいったね。でも良い監督は何人もいたよ。キム・アンデルセン【アナーセン】は戦術的にとてもうまかった。一人に決めるのは無理だね。
今、ネオプロの選手に一言だけ助言するとしたら?
ヴェ: やめるな。
続く
……
最初のバスク一周の話は写真が残ってるかとネットで探したんですが、見つかりませんでした。ただ、radsport-news.com のアーカイブには記事が残っていて、レベリンが出てくるのを見ながら早めに万歳したために、逆サイドから出てきたバルベルデの優勝のお膳立てをするような結果になったとありました。写真がないのでよくわかりませんが、このままレベリンに譲らなければプロ初勝利をあげることも可能だったということみたいです。この時ネオプロだったんですね。

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