どうも忙しくなると、こういう rsn 頼みの記事になりがちです 苦笑)
というわけで、この選手も09年、ミルラムでジャパンカップに来て以来、時々気にしていた選手でしたが、今年はニュルブルクリングのサーキットで行われたワンデーレース、ラート・アム・リングで70キロ独走の逃げ切り勝ちを収め、さらにはツール・ド・フランスで序盤の1日だけとはいえ、山岳賞マイヨを着たのでした。
「今年の総括そのものは肯定的に見られるものだ。さらに一歩レベルを上げられたと思ってるよ。でも僕のハイライトはミラノ〜サンレモに初めて参加して最後まで残れた(23位)ことだ。」
だけど本人が一番望んでいたオリンピックは補欠選手どまりで、しかもそのあとボーラから来年度の契約はないことを告げられてしまいました。いろいろチームを探したようですが、現時点ではまだどのチームとも契約してません。
「まだ二つのチームと話し合っているところだ。だけどうまくいかなくても、なんでもありの状態にしておきたい。自分のこの先のキャリアを決めるのが早すぎる失敗はしたくない。無論そうは言っても、まだ走りたいよ。まだこの仕事をお終いにしたくないからね。」
まだ30歳、ステージレースの逃げ屋として使えると思うけどなぁ。

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