手前味噌みたいだし、自分の言ってきたことがどれだけ当たったかなんて偉そうに言うことも嫌だけど、でも、どうしても言っておきたい。拙ブログでは最初の頃に、現在の日本はナチス台頭直前のドイツに似ていると書き、その後、すでにナチスの時代に突入しているとも書いた。森達也の言葉を借りて、すでにブレーキを踏む時期は過ぎ、あとはどこかにぶつかるだけだ、というようなことも書いた(拍手コメントをくれた人が言っていたが、ナチスと言っても、今の日本人はそれが世界史上最大の悪の形態のひとつであることを知らないのではないか、ナチスに似ていると言っても、それがどういうことか、理解していない人がたくさんいるのではないか。本当にそうなのかもしれない。)
さて、そのブレーキはもう間に合わない、どこかにぶつかるのを待っているのが今という時代だという感覚。そうして、今回の大量殺人事件は、やはり「どこかにぶつかった」のではないのか?
ここでぶつかったことに気づいて、遅ればせながらも、ブレーキを踏まなくては、もっとひどいことが起きるのではないだろうか?
今回の事件は今の社会の風潮が生み出したものである。これは絶対に間違いないと思う。だから今の社会の向かっている方向を変えなければ、またぶつかる。もっとひどいことが、きっと起きる。
だけど、海外のテロに対しては「断固として」とか「絶対に」とか言っている安部は、少なくとも今回の事件に対して、そうした強い言葉で何か言っているのだろうか? まさか、犯人が安倍を崇拝している節があるから、強く非難できないんじゃないだろうね?
それとも、安倍は強く非難しているけど、マスコミがそれを伝えないだけなのだろうか? そもそも、安倍に伝えてくれという犯人の「悲痛な」叫びについて言及している記事がほとんどないように感じるのは、僕の思い過ごしか?
いやいや、それどころか、マスコミは犯人の主張を、きちんとした批判もせずに垂れ流して、おかげでネットなどでは、犯人を英雄視するような奴までたくさん出てきている。犯人のやったことには反対だが、考え方には一理ある、何て堂々と書いてる奴もたくさんいる。ブレーキを踏まないどころか、アクセルを吹かすようなこの社会は、まだまだ、これからもっとひどいぶつかり方をするのかもしれない。

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