前に書いたことがあるけど、ネイティブ・アメリカンの言葉に7代先のことをを考えて行動しろというのがある。 7代先のぼくらの子孫は、今の時代を振り返って、どう思うだろう? 僕ら今の時代に生きる人たちは、7代先の日本は、世界は、どうなっていればいいと思っているんだろう?
川上弘美の「大きな鳥にさらわれないよう」を読んだ。ものすごく面白かった。平易な文章だけど、結構時間をかけて読み、最後の方では読み終わってしまうことが悲しくなった。そして、読み終わった後に、もう一度全体の構成を確認するために、あちこちつまみ読みをした。
最初、読み始めてしばらくして、もう40年ぐらい前に夢中になったレイ・ブラッドベリの「10月はたそがれの国」とか「火星年代記」を思い出した。透明感あふれる雰囲気に、昔読んだ萩尾望都のSF漫画を思い出し、不吉な不安感に諸星大二郎のSF漫画を思い出し、最後の「母」の話に手塚治虫の火の鳥を思い出した。
衰弱しながら没落へ向かう雰囲気と舞台になっている世界のシステムが、共通している連作短編集かと思っていると、途中、ヤコブとイアンが登場して、話がおぼろげながら繋がっていることがわかってくる。そして最後から二つ目の話で、この小説で描かれている世界像がはっきりし、最後の章で最初の章につながる。それぞれの話がどれも面白い。
(この後、この小説の世界をネタバレしてます)
グローバル化し、遺伝子操作でクローン生成が簡単になり、人工知能が人類の能力を超えても人類は滅亡へ向かわざるをえない。そこで小さな集落に隔離して、それぞれの集落で遺伝子の変化を待ち、さらにそれらを混雑させて新しい(滅亡へ向かわない)人類を発生させることを目論む。そのために、クローンと人工知能が合体した母たちにより、クローン発生させられた見守りたちが、何千年にもわたって代替わりを続けながら、人類の新たな遺伝子の変化を見つけ、そうした変異体を母たちの元に送りこみ、新たな人類の発生を待つというのが、この小説の世界である。だけど、結局、人間は同じことを繰り返していく。
そうなんだよね。人類は宇宙の果てまで見つけられそうなぐらいの科学の進歩を成し遂げたけど、過去に学ばず、一時の感情に流され、目の前の利益追求に一喜一憂する。将来のことなど本気で考えず、「暢気に大戦やらテロやら汚染物質拡散やらを綿々と続け」(p.94) ていく。ましてや7代先なんて考えるはずもない。
最後のネアンデルタール人はジブラルタル海峡で滅んだという。宇宙の果てすら見つけようとしている現生人類だって、いずれ消えていく運命なのだろう。

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