監督のエルマンノ・オルミは30年ぐらい前になるのか、「木靴の樹」を、今日と同じ岩波ホールで観た。ドキュメンタリーみたいな素っ気ない、ただしリアリティというか臨場感のある映画で、最後も農地を追われていく主人公たちの家族が、別段の思い入れもない映像で去っていく姿を映しているだけで、当時まだ20代前半だったと思うんだけど、こういう映画もあるんだ、と驚いた記憶がある。
今回の映画は第一次世界大戦、イタリア北東部での塹壕戦を舞台にした映画だけど、やっぱりオルミの映画、ドキュメンタリーみたいな素っ気なさだった。ほとんどが静かなシーンばかりで、派手な戦闘シーンもなく(敵の砲撃でズタボロになるシーンはあるが)、ハリウッド映画みたいな英雄的な人物も出てこない。静かでセピア調の暗いシーンばかり。だけど夜のアルプスの雪原風景がめちゃくちゃ美しく、幾つかのセリフが心に残った。
例えば、こんなセリフ。
「その命令は犯罪です」
現場を見ない参謀たちの地図だけを頼りにした無茶な命令。しかし現場の兵士たちはそれに従わなければならない。案の定、兵士は命令に従って出て行き、あっという間に狙撃されて死ぬ。
そうなのだ、犯罪的な命令、ある意味で戦争での命令はどれも犯罪だ。しかし、生き残った参謀たちは、みんな戦争だったから仕方なかったのだと言って、自分の犯罪をほっかむりする。
そんな理不尽な命令によって部下を殺させてしまった現場の隊長が叫ぶ。
「死んだ者の名前をリストアップせよ。死んだ者の数ではないぞ、一人一人の名前を書き出せ」
とっさに堀田善衛の「時間」の「死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある」(新潮文庫「時間」p.57)という文章を思い出した。歴史の中で戦死者は数に還元されてしまう。しかし、ここには名も知れず忘れられていった者たちへの追悼の思いがある。
そして最後の若い哲学徒の学徒兵の中尉が母宛の手紙の中で書く言葉。
「一番難しいのは人を許すことだ。だが、人が人を許すことができないのなら、人間とは何なのか」
もうあえて言うまでもないだろう。今の世の中、不寛容の嵐が世界中にふきすさんでいる。僕は今の世の中を切り分ける言葉としては右翼と左翼なんていう言葉ではなく、寛容と不寛容がキーワードではないかと思っている、っていうのは前にも書いた。
映画に戻れば、何しろ美しい。青みがかかった雪原の中を狐やウサギが走る。孤高のイメージで一本のカラマツの木が立つ。そうした美しい自然の中で、人間は何をしているのだろう。これは100年前の戦争の話ではなく、現在の話でもある。

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