実はただいま4月1日に挙行する引っ越しの準備中で大わらわです。引っ越しと言っても歩いて15分ほどのところなんですがね。今住んでいるところが富士山もスカイツリーも良く見え、蚊も来ない8階なのに対して、今度のところはそうはいかないのがちょっと心残りなんですがね 苦笑)
というわけで、またまたスカパーで見た映画の話。それも拙ブログに相応しく、陰々滅々たるやりきれないお話です。映画としても淡々と細部が描かれるタイプの映画で、下のトレーラーでは緊迫した戦闘シーンがたくさんあるような気がしますが、実際はそうではありません。そういうのを期待する方は絶対退屈します キッパリ)
2002年、ドイツはそれまでNATO圏内にしか出動させなかった連邦軍を、戦後初めて圏外のアフガニスタンへ派兵した。昨日の東京新聞朝刊にもそうしたドイツ人元兵士の記事が載っていたし、半年ほど前だったか、NHKでドキュメンタリーが放送されていた。
連邦軍は、当初、復興支援・平和維持任務だったのが、治安維持任務を受け持つようになり戦闘は日常的なものになって、13年に撤退するまでに50人以上のドイツ人兵士が「戦死」した。それだけでなくアフガニスタンへ行った元兵士のうちかなりの割合の人がPTSDに苦しんでいるという。
この映画はアフガンへ派遣された連邦軍の指揮官と、通訳のアフガニスタン人青年の話だが、綺麗事にならず、ものすごいリアリティがあった。主人公は、アフガニスタンに派遣されて自動車爆弾で死んだ兄を持ち、一方通訳の青年は大学へ通う妹がタリバーンから命を狙われている。
アフガニスタンの町には反タリバーンの人もいれば、タリバーンを支持する人々もいる。ドイツ軍は、タリバーンに反対して自警組織を作って対抗する集落を支援するために派遣される。当然通訳のアフガニスタン人青年も町を離れて行動を共にする。
連邦軍は自警組織の支援と言いながら、実際の戦闘があっても町にいる上層部の意向をいちいち確認してからでなければ動けず、上層部は概ね関わり合いにならないような指示しか出さない。
主役の指揮官は
以前拙ブログで紹介した「あの日のように抱きしめて」という映画で主役だった、ちょっと東独砲丸投げ選手的体格の、優しげな顔をしたロナルト・ツェアフェルト。自警組織の責任者から協力を依頼されてもそれに上層部の許可がおりず、現地の人々から罵られ蔑まれ、忸怩たる思いでいる。
彼は確かにアフガニスタン復興のために役立ちたいという兄の遺志を継いだ善意の人であるが、アフガニスタン人から見れば、戦車に乗ってやってきて、自分たち西洋の倫理意識を押し付けて、そのうち去っていくよそ者である。このあたりの複雑な感情のもつれは見ていても辛い。
さて、通訳の青年が町にいる妹の身を案じて、町からドイツ軍の駐屯している集落へ連れて行こうとして、途中で妹が銃撃されて重傷を負う。彼女を病院へ運ぼうとして、主人公のツェアフェルトが現場を離れている間にタリバーンの待ち伏せにあって連邦軍兵士が一人戦死してしまう。指揮官としての責任を問われてツェアフェルトは裁判で有罪になる。一方の通訳の青年はタリバーンの襲撃にあって(おそらく)死ぬ。
見ての通り、なんともやりきれない映画である。そして、劇的な事件が起こるわけではないし、戦闘場面はドキュメンタリー風の作りで、ヒロイックなわけでもない。そして内容も映画の中だけでは絶対に完結しない話である。
言わずもがなだが、日本も近い将来、同様のことが起きるだろう。現場のことを知らない政府のお偉方たちが、「国益」のためと称して、若い人たちを「戦場」に送り込むだろう。実際、ドイツでも、現場は比喩ではなく本当の「戦争状態」だったのに、防衛大臣をはじめとした政府の要人は「戦争」ではないと言い続けた。戦死者の数が見逃せない数になって、やっと「戦争状態」だということを認めたのである。

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