私の iPod にはバッハと友川カズキしか入ってません!というわけで、昨夜は友川カズキの独演会。サインと絵の描かれた色紙に名前まで書いてもらって、その後の打ち上げでは予想以上にお話し出来て大感激、大興奮の夜でした。興奮の余り発した上の台詞はご本人は無論のこと周りの方々にもウケました 笑)
サインの時、私の苗字はかなり珍しいというか、親類縁者以外で同じ苗字の人に会ったことってないのですが、友川さんの本名もかなり珍しい名前なので印象に残ったようで、かなり時間が経ってから突然名前を呼んでもらって、そのままお酒をついでもらって、もう失神しそうでしたね 笑)
(もう、今後一人で酒を飲むときは、プリントアウトしたこの写真を前に置いておくことにします 笑)他にも、サインするときに僕の下の方の名前を、お、森達也と同じだね。森達也知ってる? と言われて、目から火花飛びそうでした 爆) 拙ブログで何度も書いている森達也の名前が出て、ホント誇張じゃなく喜びの余り「クラっ」としましたね。
最終的にはグデングデンに酔っぱらって終電車一つ前で深夜過ぎに帰ってきました。
この人の書くものの本質は「鎮魂」という言葉を連想させます。打ち上げでそばにいた女性が、夫を亡くしてこの人の歌に慰められたというようなことを話しているのが聞こえましたが、そういう人ってすごく多いんじゃないかと思います。個人的に「おじっちゃ」や「オガ」や自死した弟の「覚(さとる)」さんのことを歌っているのだけど、そこに誰でもが仮託できる鎮魂の普遍性があります。
この人が競輪の大ファンだというのも、ありふれた譬えかもしれないけど、疾走する自転車に生を重ね、瞬時につく勝負に生と死とを重ねているのではないか、なんて言ったらかなり強引かもしれませんが、生きている者の使命として、いなくなったもののために歌って叫んでいるのではないかと、そんな風に感じます。たとえば有名な「無残の美」の中のこんな詩は、耐え難い死を身近にした者であれば涙なしには聞けないでしょう。
「水の生まれ出ずる青い山中で
待つのみでいい どこへも行くな こちら側へも
もう来るな」
あるいは「2010・夏・オガ」の中の詩。
「9つ4つ サトル聞こえるか
9つ4つ おじっちゃ聞こえるか
光の糸をたぐり寄せて
オガがさっきそっちゃ行ったど
焼き場の熱に目をやられ
天心に向かう背中が見えない」
この「9つ4つ」ってなんなのか? 僕は9月4日と考えましたが、9と4という縁起の悪い数字を出してみたのかもしれません。昨日聞けば良かった。昨日はおそるおそる大好きな「カラブラン」という曲について聞いてみたのですが、こちらは思いつきませんでした 笑)
「カラブラン」の中のこんな詩だって短い生を意識させる言葉で、始めてこの曲を聴いたときにはガツンと来ました。
「そのうち会おうと言うならば
今すぐどうだ とっととどうだ」
この人は自分では本なんか余り読んでないとか言うんですが、実際はかなりの読書家であることは間違いありません。たくさんある中原中也(個人的には「一つのメルヘン」の悲歌的な歌いっぷりがものすごく気に入ってます)はともかくとして、西脇順三郎とか、昨夜も歌っていた北村透谷とか、葛西善三とか、まあ、ふつうの人はまず読まないだろうというような詩人や作家に捧げる曲、あるいは西東三鬼や山頭火や住宅顕信と、これもあまりふつう読まないだろうという俳人の句の引用が多いことからも、それは間違いないでしょう。
昨夜も新らしい曲で吉村昭の小説の題名からできた曲(これがくやしいことによく聞き取れなかった。なんとか葬送アラカルトとかなんとか。。。)も出てきました。葛西善三なんてもちろん読んだことなかったから、おもわず短編の「哀しき父」を青空文庫でダウンロードして読んでしまいました。歌詞にある通り「痛いぞ葛西善三」でした。またお互いに気があっているという西村賢太なんかも、まだ一冊だけですが、読むはめになりました。
打ち上げで話をした方たちは大むね僕と同世代で、おもしろいことに僕と同様、友川ファンになってまだ日が浅いという方が多かったです。またどこかの友川コンサートでお会い出来るといいですね、と握手しながらお別れしました。
グスタフ・マーラーは「いつか時代が私に追いついてくる」とかなんとか言ったそうですが、友川カズキもデビューした後のバブリーな時代に「一切合切世も末だ」とか「家出青年」とか「死にぞこないの唄」なんていう暗い鬱屈した怒りを叩き付けるような曲がうけるはずはなかったわけで、そういう意味では時代がようやく友川カズキに追いついてきた(世相が暗くなってきた)と言えるのかもしれません。
また、実際に「家出青年」などは、発表当時はなかった反原発の詩句が、現在のバージョンでは入っていますが、それが実に歌にも歌い方にも歌詞にもピッタリとはまります。ちなみに、昨日のライブではこの詩句が最初に語られてから本編の歌になるというバージョンでした。しかしこの曲の「カカカカカ。。。。」というあれは哄笑でしょうか、もう圧倒されてしまって、曲が終わって拍手が鳴るまでの間(ま)がとても印象的でした。
たくさんあって重くなるので、今回はYouTubeの埋め込みはしませんが、興味があれば友川カズキと題名を入れれば、ここに上げた曲はどれもほとんど聴くことができます。ただし、老婆心ながら、安易に聴かないようにしましょう。「無残の美」なんかヘタに聴くと涙止まらなくなります。気をつけましょう。
まだまだ言いたいことがたくさんあるんだけど、とくに曲の合間のお話の部分の毒と怒りと自虐的な笑いとは、この人が本質的にかなりの照れ屋で、自分の暗さやセンチメンタルな部分を恥じているんじゃないかと思ったりもしたんですが、まあ、そういうのはまた別の機会があれば。
いずれにせよ、絵入りのサイン色紙と、持って行った
「友川カズキ独白録」および「友川カズキ歌詞集」にしてもらったサインは家宝ですわ。うーん、こんな興奮は、きっと
クリケリオンとヴァン・ポッペルのマイヨをオークションで手に入れたとき以来、いや、それ以上かもしれません 笑)

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