前に映画「ザ・ウォーカー」について書いたときちょっとだけ触れたことがあるけど、トリュフォーの映画に「華氏451」というSFというか、ディストピア映画がある。初めて見たのは、たぶん高校生のときテレビでだったと思う。その後も何度もテレビで見ている。今回たまたまビデオの整理をしていたら出てきたので思わず見てしまった。どうやら数年前にスカパーでやったのを撮っておいたらしい。
一言で言ってオーウェルの「1984」の系列。オーウェルでもニュースピークと言ったか、言葉を単純化させて大衆に複雑なことを考えさせないようにするという設定になっていたけど、レイ・ブラッドベリ原作のこの映画ではそれをさらに極端にさせて文字のない社会、本のない社会になっている。
主人公はファイアーマンで通報があるとみんなで赤い消防車に乗って現場へ向かい、書物を火炎放射器で燃やす。この映画の世界では書物は読むのも所持するのも禁じられている。そんななかで主人公は一冊の本をこっそりポケットに隠して持ち帰り、妻やその友人たちに朗読すると友人の一人が感情を高ぶらせて泣き出す。周りの妻や友人たちは、彼女をこんなに悲しませるようなことをするなんて、なんてひどい人だ!と主人公を非難する。
この社会では本は人を不幸にするものだと考えられている。人々はTVの馬鹿番組と文字のない漫画のような新聞を見て、興奮剤のような薬を飲み、それだけで充分満足している。人々は疑問を持たない。社会そのものが疑問を持たせないようにしている。人々は難しいことを考えない。社会が考えさせないようにしている。人々は社会に対して何の疑問も持たない。持たせないようにしている。そしてなにより、密告と異分子排除の社会。
まあ、最近の日本の状況を比べたくなる。人々の無関心と、思考の単純化、あるテーマについて早急にマルかバツをつけて、それで思考停止してしまう。こういうディストピアに近づきつつあると思わないだろうか?
ただし映画はあくまでも映画。言うまでもなくリアルに考えれば突っ込み処満載の設定だ。文字がないのに主人公が本を読めるのはなぜとか、文字がなくてお役所の公文書などはどうなるとか、ちょっとだけ九九を暗唱する声が出てくるが、学校では文字がない以上教科書もないのだろうから、何をどうやって教えているのかとか。。。
それでもこの映画は、最後のシークエンスがあることによって傑作だと思う。最後はブックピープルと呼ばれる「異分子」が森の中に集まって緩い集落を作り、各自が一冊の本を丸ごと暗記して本そのものになる。本が禁止なら丸ごと覚えて本そのものになればいいというわけだ。最後は雪が散り始めた中をブックピープルたちが暗唱しながら湖畔の森の中を行き交うものすごく美しいシーンで終わる。ヴェンダースの「ベルリン・天使の詩」でも図書館の中で本を読む人たちの内心の声がハーモニーのように天使たちに聞こえてくるシーンがあったけど、このラストとつながりがあるのかも。
この映画は見た当時すごく記憶に残った映画だった。全体の雰囲気も今のSF慣れした目で見ればかなりチープかもしれない。室内の清潔感ある様子なんかは「サンダーバード」のよう。住宅街の風景もきれい。モノレールも今の目で見ればなんだけど、当時は未来の雰囲気だった。でもなにより主演のオスカー・ヴェルナーという俳優に惚れた。
この人のことは以前にも拙ブログで書いたけど、そうはいってもこの人の映画はこれと、同じくトリュフォーの「突然炎のごとく」の二つぐらいしか有名ではないんだけどね。でもこの人はオーストリアやドイツを中心に超の字が付くぐらい有名な舞台俳優だったらしい。

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http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=15819338敵役のアントン・ディフリングの特徴的な悪役面もこの映画で覚えた。こういう特徴的な悪役面って、
前にも書いた佐藤慶なんかもそうだけど、なんとなく好きなんだよねぇ。このディフリング、その後も「ブルーマックス」と「ツェッペリン」やチャールトン・ヘストンがなんと!指揮者になった映画(題名失念)でも悪役で出てきて、見つけて。喜んでいた

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http://www.listal.com/anton-diffringこういう誰も知らない俳優を好きになる心情って拙ブログの選手の青田刈りとか大昔の選手への興味とつながってるな、きっと。 三つ子の魂。。。。

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