ロベール・ブレッソンという、
カール・テオ・ドライヤー、イングマール・ベルイマン、
小津安二郎、あるいは
タルコフスキーやアンゲロプロス、
エリセなどと並べて語られる監督の映画です。以前書いた
佐々木昭一郎なんかもきっとこの系列でしょう(今回以前書いたことがある監督はその記事にリンクしておきました)。
この監督の特徴はお話の説明をしないこと、決定的なシーンが画面の外で行われること、素人や無名の俳優ばかり使って、無表情の演技をさせること、ストーリーはほとんど説明が無く、これは凄いと思わせる映像もほとんどないのに詩情を感じさせること、映画全体でなにか宗教的・哲学的なテーマの暗示になっている(らしい)ことなどでしょうか。
この映画とともに挙げられるのが「少女ムシェット」や「田舎司祭の日記」で、どれも主人公たちは最後に死にます。それも実にあっさりと。例えば「少女ムシェット」を、ほぼ同じ頃に、同じく白黒で撮られた
「シベールの日曜日」と比べてみれば、いかにシベールがセンチメンタルで饒舌で感動を煽っているか(悪い意味で言っているのではありませんよ。僕はシベールが大好きです)が分かります。
「田舎司祭の日記」も同じく聖職者を主人公にしたベルイマンの「冬の光」と比べると、ベルイマンもかなり素っ気ないけど、それ以上に観客に対して不親切です。どちらも村人に受け入れられず苦しむ聖職者の話ですが、面白いのは圧倒的にベルイマンの方でしょう。神の不在を信じる牧師が教区の信者から総スカンを食らい、同じく神の不在を信じる愛人が一人だけ座っている教会の中で、立派な説教団から、神の栄光について説教を始めるというラストで、なんとまあ暗い話だと思ったものでしたが、こちらのブレッソンの方は日記なので主人公の独白になり、最後は胃がんで死ぬのですが、無表情なナレーションと表情で劇的な盛り上がりを完全に排除しています。これを見た後ではベルイマンの映画が作り物めいたものに感じられます(作り物はむろんこれまた悪い意味ではありませんよ)。
さて、この映画「バルタザールどこへ行く」も本やネットで内容がたくさん書かれていますがストーリーがみんな違います。正直よくわからないところがたくさんありますが、僕なりにストーリーを追ってみます。
校長の娘マリーと農家の息子ジャックは幼いときから仲良しで、生まれたばかりのロバのバルタザールを買ってもらってかわいがるんですが、ジャックの妹が病死したことから一家は農家を離れて家も売りに出します。バルタザールも売られて、荷を運ぶ重労働につきますが、持ち主に虐待されて逃げだし、売りに出されたかつてのジャックの農家を手に入れていたマリーの一家に飼われることになります。この農家の所有権がもつれ、マリー一家はこの家を手放し、バルタザールもあるパン屋のものになります。
そのパン屋に不良グループの一人ジェラールが雇われるのですが、彼はマリーに惚れいていて、マリーがかわいがったバルタザールを、尻尾に火を付けたり叩いたりしていじめます。ついに病気になったバルタザールが安楽死させられる直前にジェラールの仲間で貧しい酒乱のアルノルドにもらわれていきますが、このアルノルド、普段はおとなしくバルタザールもかわいがっているようなのですが、酒が入ると、どうやら過去には人を殺したこともあるようで、バルタザールは逃げ出して、動物モノにはありがちなのですがサーカスへ。しかしアルノルドに見つかり再び彼の元で飼われます。そのアルノルドは伯父の遺産を相続して大金持ちになりますが、酔っぱらってバルタザールに乗って転げ落ち死んでしまいます。
この間にマリーはジェラールと恋仲になりますが、あっさり捨てられてしまいます。一方バルタザールは競売で守銭奴の老人のものとなるのですが、この老人のもとへジェラールに捨てられたマリーがやってきて身を売ります。翌日父母が来て家に戻ると、幼い日に仲良しだったジャックがプロポーズにやってきますが、マリーは彼を振り切ってジェラールたちの所へ行き、輪姦されてしまいます。辱められたことが村中に知られてマリーは家出し、家の所有権も失った父は死んでしまいます。夜になって密売か盗みのために利用しようとジェラールがバルタザールを連れていき、銃で撃たれて流れ弾がバルタザールに当たり、翌日、羊たちの群れのなかでバルタザールは死にます。
以上がかなり詳しいストーリーのつもりですが、ひょっとしたら、違うよ、という人もいるかもしれません。なにしろ話のつながりを説明しないし、そもそも登場人物もどういう人間なのかもよくわかりません。見る側の想像にまかされているわけで、ぼんやり見ていると、まるで意味が分からなくなります。でも、見終わると、きっと誰でもなにかとても美しいものを見たという気持ちになることは間違いないと思います。特に最後の羊の群れの中で倒れているバルタザールの姿の痛ましい美しさ。シューベルトのピアノソナタ20番のやりきれないほど美しい旋律がBGMで、映画の内容を表しています。
ロバはキリストが処刑されるのを承知の上でエルサレムに入城するときに乗っていった動物で、羊は犠牲の子羊(キリスト)を暗示しているのは、たぶんクリスチャンの観客なら気が付くところでしょう。

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