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映画「野火」覚書き(かなりネタバレ)

2015.08.17.20:56


大岡昇平の原作のストーリーをかなり忠実に辿っているけど、やっぱり原作の大きなテーマになっている神さまに関することは出てこない。そもそも題名の野火が神の暗喩ではないかと思うのだが。。。誰も見てなくても、神さまは常に見ているよ。僕も子どもの頃クリスチャンの母親からおどかされたものだった 苦笑) 野火は主人公につきまとう。行く先々で野火が上がる。それは抗日ゲリラのノロシかもしれないし、農民が単にたき火をしているだけかもしれないのだが。

だから原作の、山の斜面から下を見下ろして何か光る物があり、それが教会の十字架だとわかってそこへ向かうシーンはない。教会も出てくるが、「デ・プロフンディス(深き淵よりわれ汝を呼びたもう)」の詩句を我知らず口に出すシーンもない。

それから原作では死を覚悟しながら彷徨する主人公はかなりのインテリで、いろんな思弁を駆使する。自分のキリスト教体験について思い出したり、デジャヴ感覚についてのフランスの哲学者ベルクソンの説を思い返して、それに異論を加えたりする。映画はそうした思弁的神学的な面は、昔の市川崑が作った「野火」と同様に切り捨てている。たしかに映像にはしづらいし、キリスト教は日本の観客にはあまりに唐突な印象が否めないということだろう。

なにより映画が目指したのは戦場のリアリティだろうか。木の枝なのか岩なのか分からないような、ウジの湧いた泥まみれの腐乱死体・バラバラ死体が多数散乱し、米軍の銃撃で血が吹き出て脳漿が飛び散る。蠅のブンブンいう音がステレオ音響で、自分の耳の横に飛んでいるようで、思わず手で払う仕種をしそうになった。ただ、こういう戦場のシーンに見慣れてしまったのだろうか? ここにも書いたことがあるけど、白黒の「西部戦線異状なし」や、CGなどなかった時代のロシア映画の「炎628」を初めて見たときのような異常な怖さはあまり感じられなかった。


一方で密林と山から見下ろす風景の美しさ、空の青さと雲の白さと戦場の対照は「シン・レッド・ライン」を思い出した。


そういえば、「シン・レッド・ライン」では通奏低音のようにブツブツと独り言のようなモノローグが続いたような記憶がある。この映画でも哲学的・神学的な台詞をもっと主人公に語らせても良かったように思うのだが。主人公が作家であることが紹介されるし、そう考えると、その作家らしさがちょっと足りないような気がする。

ちなみに原作では主人公は作家だとは出ていないと思う。むしろ、発表に当たって削除された前文を信じれば、この小説は田村一等兵が「私」に書き残した文章で、本文中の「私」は田村である、と念押しされていた(これは千倉で恩人の本箱にあった岩波版の「大岡昇平集3」に載っていた。しかし、現行の稿では医者に促されて書いたことになっている)。映画では主人公は大岡昇平と重なってしまうような気がする。

最後に、映画とは別に、原作の最後の方で現代の日本にピッタリ一致する文言を見つけたので引用しておこう。

「この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしてゐるらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたいらしい人たちを私は理解出来ない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇ったやうな目に遇ふほかはあるまい。その時彼等は思ひ知るであらう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。」(37章「狂人日記」より)



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comment

アンコウ
CYPRESSさん、

どどっとコメント、さぞや心打たれたのだと推察します。実ははだしのゲンは読んでないし(実をいうと火垂るの墓も原作は読んだけどアニメは見てなかったりする)、風と共に、も映画はともかく原作は読んだことがない。連れ合いは高校生の頃に読んでムチャクチャ感動したと言ってますが、あの人、ベンハーの原作とか読んでる変な女だし 苦笑)

いや、ただね、コメントの内容にはやや不満も。。。笑)なんではだしのゲンと風と共に?? 連想の糸口があまりつかめない。

うーん、あの「左手」はナルシスティックで「邪悪」のイメージは感じませんでした。もっともメフィストフェレスは女性的なところがあるけど。ただ、なるほどね、人肉を食うことはキリスト教で色々出てくる「誘惑」(キリストというよりアントニウスか?)ね。でもどうかなぁ。。。田村は「猿」の肉を人肉と知らずに(?)とはいえ、食っちまったし。

僕はやっぱり野火が地獄うんぬんというより、神さまに常に見られているという感じだと思うけどね。野火って火じゃなくて煙だと思うし。いずれにしても、大岡も遠藤と同じように、キリスト教に対する違和感を感じ続けていたんだろうね。

それから、ラトゥールは高校時代大好きな(一番好きだった)画家でした。野火は同じ高校時代に読んでるけど、全く連想しませんでしたし、今もできないし、あの小説からボスの絵は、ちょっとムリムリじゃないかなぁ。? まあ、読んだものから何を連想しようが自由だろうけど。
2015.09.25 23:59
CYPRESS
もう一つ。
広島で被爆後、死体と蛆の描写は多くの本に描かれていますが、
蠅の描写は『はだしのゲン』でしか見たことないなぁ。
ゲンは蠅の大群に追いかけられる。

戦禍の後、市井の人、民草、蒼茫、庶民の生き方、
『はだしのゲン』と『風と共に去りぬ』と比べると大変興味深い。
貧乏と儒教の日本人、キリスト教と大農場のアメリカ人、
正反対の生き方をしてます。
2015.09.25 22:42
CYPRESS
それから、
題名の前の引用って言うか、
有名な旧約の詩篇第二三篇の第四節からの引用

「たとひわれ死のかげの谷をあゆもとも」

これの続きは、

「禍害をおそれじ なんぢわれとともに在せばなり なんぢの笞なんぢの杖われを慰む」

なんですが、ベトナム戦争の時、サイゴンのライター屋は無料で刻印してくれましてな。
魔除けに彫ってくれたのは、ちょいと違い、

Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear of no evil; for I am the evilest son of a bitch there.

と罰当たりな文句に変えてあった。

当然『野火』はベトナム戦争以前でありますが、

神は笞と杖で彷徨う子羊を正しい道へと導くのか、それとも、
the evilest son of a bitch
田村一等兵は自ら最悪の下種野郎になるのか、

「実に興味深い」
~湯川学准教授~
であります。
2015.09.25 22:28
CYPRESS
読んだ。
左手が右手を掴むってのは、これは、文学史上に残る描写じゃないだろうか?
スカーレット・オハーラは、絶対左手が右手を掴まかったし、そもそも左手も右手同様食べ物を探してそれどころじゃなかった(笑)。
なんせ、親父殿は27歳年下の恋女房が腸チフスで死んで腑抜けになり、代わってタラの農場の全員を食べさせなきゃならんかったからねぇ。

左で思い出すのが、"bend sinister"
紋章学で「非嫡出子のしるし」。
"sinister"はラテン語起源で「左」の意で、そこから「好ましくない、正しくない」になり、現在の英語では「邪悪な、悪意ある、陰険な、不吉な、縁起の悪い」になってる。
ただ、研究社の和英大辞典の語源では、
「南面して占うローマの習慣からfavaorable」
「北面して占うギリシャの習慣からunfavorable」
と書いてありどうやらハッキリしないらしい。

田村一等兵は、自分の記憶で残っている部分によれば、第一線を越えなかったらしいだけで、確信が無い。
最初の機会では左手がしっかりと右手を掴んでくれたけど、比島の原野を彷徨うのが延びれば「ローマの習慣」になっていたかもしれず、「ギリシャの習慣」になっていたかもしれない。

大岡昇平も"sinister"のこの辺の事を知っていたんじゃないだろうか?

まぁ、そこまで深読みしなくても、人間の多くは右利きだから当然左手は右手程の器用さもないし、力も無い。
当然頼りにならんワイ(笑)。


また、『野火』にも引用されるマタイ傳第六章三節と四節、
「汝は施済をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな。是はその施済の隠れん為なり。然らば隠れたるに見たまふ汝の父は報い給はん。」
では、地獄の魔王は何を望むか?
「腹減って力、出ないだろう?両手でやれよ。子供の頃の事は忘れちまいな。ほら、あそこにも煙が上ってるだろう?あの火で焼くと美味いゾ。左手も使いな」
と絶対そそのかしている。

野火の描写は私はブログ主殿と違い地獄の業火が地上に漏れ、人間を誘惑してる象徴だと思う。
田村一等兵は生芋を食べ続け下痢をしていたし、教会へ行ったのもマッチを探していた事がそう考える理由の一つ。
火を使い調理すれば食べられる物が増える。
他の命を文字通り食い物にして生き延びられる。
一見炎により浄化してる様だけど、実は人間としての最後の選択になってるのを地獄の魔王が隠してるんじゃないだろうか?

野火の描写から連想したのは、
ジョルジュ・ド・ラトゥールが描いた幼いキリストが大工の父親ヨゼフの手元を照らすロウソクではなく、
蛾を引き寄せるたき火を描いた速水御舟の『炎舞』やもっと直接的なヒエロニムス・ボスの地獄の絵。

まぁ、こんな所ですかね。
因みに敗軍、敗残兵の描写は『風と共に去りぬ』も同じであります。
飢餓と襤褸であります。
2015.09.25 21:45
アンコウ
momoさん、

たぶん青田買いから青田刈りになったっぽいですね。田んぼを丸ごと買い取るという発想は僕にはなく、ちまちま刈り取るぐらいが身の丈に合っていそうです 笑)
2015.08.23 15:12
momo
すみません、私のほうこそ勉強になりました。

実は私、「青田刈り」は「青田買い」の誤用だと思っていました。実際にそう書いてある辞書もあるんですよ。
でもうちにある別の辞書2冊を改めて引いてみたところ、1冊はそれぞれに違う語釈がついていて同じ意味として使うこともある、とあり、もう1冊には「青田買い」の語釈だけで「刈り」も同様に使う、とありました。

ということで、大変失礼しました。
2015.08.22 19:38
アンコウ
momo さん、

こんにちは、いやぁ、ヒヤッとしました。言われてみれば卒業前の学生の青田買いって言いますもんね。でも、辞書ひいたら両方同じ意味みたい ホッ)

青田買い:水稲の成熟前に、その田の収穫量を見越して先買いすること。
青田刈り:収穫を急ぐあまり、稲をまだ未熟のうちに刈り取ること。

とあって、それぞれ同じ意味でも使うとなってます。なるほどねぇ。意識せずに使っていたけど、青田買いは僕のボキャブラリーにはなかったです。勉強になりました。なんとなく誰も手をつける前に、先に刈り取って俺のものにしちまう 笑)という感じで、チャカチャカ鎌で刈り取るイメージでドイツ系若手選手青田刈りって使っていました 笑)

「野火」ですが、キリスト教は母親のせいで、普通の日本人よりずっと身近だったという個人的な特殊な事情のせいです。でも、なるほど、キリスト教の神さまが一方であって、花が食べて良いと話しかけてくるのは、あまりキリスト教的ではないですね。こう書きながら宮沢賢治のヨタカを思い出しました。

ところで、花のシーンは映画でも出てきますよ。ただ、花は鶏頭みたいなけっこうどぎつい赤い花でした。映画では花というより内臓みたいなイメージで使っているのかも。左手が右手を押さえるところは出てこなかったけど。まあ、映画はかなりグロテスクなシーンが続出なので、女性の方にはお勧めしませんけど、でも映画館は結構お客さんが入っていたし(僕が座ったところでは左はあいていたけど、右はふさがっていました)、若い女性も年配の女性もちらほら見えましたよ。
2015.08.22 14:02
momo
だいぶ時間が経ってしまいましたが
私はアンコウさんとは逆で、キリスト教云々については全く記憶に残っていませんでした。たぶん、読んだ当時もテキトーに読み飛ばしていたのでしょう。
むしろ、植物の声からは“八百万の神”的なものを連想していました。

ところで、以前から気になっていたのですが
「青田」は「刈る」ことはできないので、先に「買う」んですよね‥?
2015.08.22 13:05

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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