自民党の議員が戦争反対を叫ぶ若者たちを「自分中心、極端な利己的考え」と言ったそうだ。まあ、「じゃあおまえまず先頭に立てよ」とか、「自分が戦争に行かない奴ほど勇ましい」とか、いくらでもツッコミ処満載だが、そうした事以上に、戦争ってじゃあなんのためにするものなの?という根本的な疑問が全く抜け落ちている。
某国が攻めてくるから自衛のために闘う。これってその某国はなんのために攻めてくるの? 領土がほしいから? 日本人が憎いから? 日本の技術力がほしいから? 資源はないから理由にならないよね? 日本の水が欲しいんだという説もあるらしいけど、まあ、戦争になっても構わないと思っている人にとっては、何だって理由にできるでしょう 苦笑)でも、逆にその某国の立場に立てば、日本が攻めてくると思っているから自衛のために闘うんでしょう。
ナチスの高官ゲーリングの有名な言葉がある。
「国民は戦争を望まないが、戦争に参加させるのは簡単だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する意外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。」
ゲーリングのこの言葉は権力を持つ人たちの立場から、国民を戦争に駆り立てる方法を述べたものだ。つまり、戦争はなんのためにするかといえば、権力者たちが、自分の立場を守るためにするのだと言える。
先日書いた野崎泰伸の「共倒れ社会を超えて」でも言ったけど、結局誰かを犠牲にしても、自分たちの「豊かさ」を守りたいと思っている連中が、戦争になっても構わないと思っているんでしょう。
つまり、言い換えれば、権力を持つ者たちが、自分と自分の仲間たちのカネを守るために、それを国益と称して、国民が死ぬかもしれない戦場へと、愛国心の名の下に駆り立て、それに反対する国民を「自分中心、極端な利己的考え」とか、「非国民」と罵っているわけだ。そして自分の個人的な恨みを外部に向けることによって、いっぱしの国士気取り、愛国者気取りができると喜んでいる声の大きい連中がそれを後押しするわけだ。
拙ブログで何度も書いてきたことだけど、やっぱり何度でも問い直したい。
国益とは誰にとっての国益なのか? 愛国心というときの愛すべき「国」ってなんなのか?
そう、現在の日本は、拙ブログのエピグラムとは真逆の方向、「社会は強い者がより強くなるように、富める者がより富むように、力をかざす者がより強い力をかざすことができるように」なるのがよい、と思っている連中に牛耳られている。

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