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戦争を振り返る何冊かの小説

2015.06.18.01:35

ドイツやフランスの戦争中のことを現代の目から振り返る小説を続けて何冊か読んだ。



メヒティルト・ボルマン「沈黙を破る者」
ドイツのこの小説は父の遺品から出てきた知らない男の身分証明書と若い娘の写真を手がかりに、ナチスの時代の過去を探っていく話で、6人の男女の青春と彼らの運命が描かれるんだけど、現在と過去が交互に描かれながら、途中現代の殺人事件が起きたりして、最後は非常に象徴的な終わり方をする。父の正体がわかるこの終わり方は非常に苦い。同時に、これは前の世代の罪、父祖たちの罪を象徴的に現代のドイツ人が確認するということなんだと思う。そしてまた父と写真の娘の正体は戦後ドイツの経済的繁栄の欺瞞性の象徴にもなっているのかもしれない。

6人はさまざまな運命を辿り、それぞれに辛い恋があり、親衛隊員になって羽振りを利かせたり、戦死したり、兵士に向かず自殺したりする。以前拙ブログで紹介したドイツのTVドラマ「ジェネレーション・ウォー」を思い出したりして、かなり面白く読んだけど、推理小説としては、小説内では描かれていない父の後半生を想像するとき、ちょっと結末に無理があるような気がする。まあ、いわば、バレないはずないだろう、と突っ込みたくなる 笑)



ピエール・アスリーヌ「密告」
こちらはフランスの小説。ナチによる占領時代のある作家のことを調べていたユダヤ系フランス人が、パリの国立文書庫で偶然自分の妻の親類をアウシュヴィッツへ送って死なせることになった密告の手紙を見つけてしまう。そこから密告した老女を追いかけ追い詰めていく。このあたり、なんとなく大昔に読んだドストエフスキーの「地下生活者の手記」の意地悪な主人公の露悪的な独白を思い出した。人が嫌がることを陰湿にやるような、一種ストーカーじみた主人公にはあまり感情移入できないだろう。ところが、この密告に関わった当時のナチの犬(フランス人刑事)に話を聞くところから、この老女の姿が一変する。この刑事の台詞がこれまた以前紹介した「慈しみの女神たち」の主人公と同じで、命令されたことをやったに過ぎないと言い放つ。

しかし、これは「凡庸な悪」と形容されたアイヒマンも同じことだが、ナチスのような徹底的な上意下達の組織の中で、罪とはなにかという非常に難しい話につながる。上からの命令に対して、良心で対抗できるのか、自分が、あるいは自分の親しい者が不利益を被っても、場合によっては死んでも、悪を行わないでいることができるのか?

同じことは日本軍にも言えるだろう。中国で新兵の訓練と称して捕虜を縛り付け、銃剣で殺させた話は有名である。このような状況に置かれたとき、これを拒絶できるか? たぶんできない。僕も含めて、ほとんどの人は殺人者になる。そして、平和な時代になったとき、ほとんどの人はこれを、命令だったんだ、しかたがなかったんだ、と自らに納得させるのだろう。アイヒマンは特別な人間ではなかった、逆に言えば、誰だってアイヒマンになる可能性はある。

小説に戻ると、ナチに占領されていた時代のフランスは密告社会で、人々はさまざまな理由から他の人間を密告した。これは最近では東ドイツでもそうだったわけで、こういう社会にいることは、自由が取り戻された後も、とてつもない深い傷を残す。フランスが解放されたあとは、今度はそうしてナチに協力したり、レジスタンスやユダヤ人を密告したり、あるいはドイツ人と親しかったフランス人たちはナチス協力者(コラボ)として迫害される。

主人公はどうすればよいのか? 老婆を許すべきなのか、しかし密告のおかげで親類が死んだのである。だが、それはすでに半世紀も前のことなのだ。そうした戦後生まれの主人公の煩悶に対して、密告にもかかわらず九死に一生を得て生き延びた親類の一人の、自らも被害者であるとともに、密告した老婆も被害者であるということなのだろう、知っててもしらないふりが、普通の人にできる唯一のことなのかも知れない。



パトリック・モディアノ 「1941年 パリの尋ね人」
アスリーヌの小説とほぼ同じ頃の小説。1941年の新聞に小さく載った16歳のユダヤ人家出少女の捜索広告から、この少女と家族の生涯を再構成しようとする「わたし」の話。むろん「わたし」はこの少女の生涯を正確に再現することなどできない。たくさんの情報や写真や同時代の手紙を紹介しつつ、ナチ占領下のパリの状況を丁寧に説明しながら、分かるところまで彼女の生涯を描写しようとするが、「わたしには永久にわからないだろう。それは彼女の秘密なのだ。哀れな、しかし貴重な秘密であり、死刑執行人も、布告も、いわゆる占領軍当局も、警視庁拘置所も、獄舎も、収容所も、歴史も、時間も(私たちを汚し、打ち砕くもろもろのすべてのものも)、彼女から奪い去ることのできなかった秘密であろう」(171)と言われる。

死んだ人間の思いは消えてしまう。人類が誕生してからいったいどれだけの人間が生まれ、死んでいったんだろうと考えると、めまいがする。この何百億の人間の思いはほとんどすべて消えさり、忘れ去られてしまった。そうした死者たちの群れにはもちろん新兵訓練の名の下に銃剣で殺された無名の中国人もいるし、逆に彼らを殺すよう強要された無名の日本人も強要した日本人もいる。

作者のモディアノ(あの対独協力派の青年の悲劇「ルシアンの青春」の脚本家の一人だそうだ)は、僅かに残された手がかりをもとにして、この小説で、半世紀前におそらくガス室で殺されたあるユダヤ人少女の思いをすくい取ろうとしている。

フランスのこういう小説が「HHhH」みたいな小説につながっていったんだなと感じた。翻って、日本はどうだろう?

少し前に高橋弘希の「指の骨」という小説が、まだ30代の作者による太平洋戦争のほとんど絶望的な状況を描いていると芥川賞候補になり、話題になった。



主語を極力廃した文章は無理がなくとても上手だなと感じたんだけど、アスリーヌやモディアノの問題意識と比べると、なにか決定的に違う。ある意味でただの戦争小説である。そして主人公たちはニューギニアのジャングルの中で、戦闘ではなく熱病や飢餓で死んでいく。つまり被害者である。せっかく戦争をテーマにするのなら、被害性だけでなく加害性も、また善と悪や罪のテーマもあるんじゃないのかなぁ。大岡昇平の「野火」にはそういう面があったと記憶しているんだけどね。

最近ドイツでアウシュヴィッツの会計係だった93歳の元ナチス親衛隊員の裁判が始まった(現在被告病気のために休廷中)。老人は会計係で、実際にユダヤ人たちを殺したわけではなかった。「手を血で染めたこと」はないが、「道義的にみれば罪がある」と言ったそうだ。日本人は戦犯を自らの手で裁くことはできなかった。戦争が終わって70年になろうというのに、いまだにナチスの時代の犯罪を追求し続け、またそうしたことをテーマに、ただ一方的にナチスを悪として断罪するだけではない、非常に重い主題の小説が現代でも書き続けられている国々があるいっぽうで、日本の状況はずいぶんと違うのではないか。戦争を経験した世代には、大岡昇平にしても武田泰淳にしても堀田善衛にしても、そうした重い主題を扱った小説がずいぶんあったはずなのだが。。。



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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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