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伝説の地プラ・ループ

2015.06.11.11:38

今日のドゥフィネのゴール、プラ・ループといえばツールの歴史上有名な登りです。と言ってもツールでは2度しか登場してません。その他のレースでゴールになったことがあるのかどうかは不明。今日のこのステージと同じステージが今年のツールの第17ステージにセッティングされているらしいですね。今日のTV放送、どなたの解説か知りませんが、このプラ・ループについて何を話すか、ちょっと楽しみにしています。ふふふ。

1975年、今日のコースと同じくアロス峠を登ってからプラ・ループへ向かうステージで、マイヨ・ジョーヌのエディ・メルクスがこのプラ・ループでベルナール・テヴネに追い抜かれるという、メルクス時代の終焉の地として、この名前はツール史上欠かすことの出来ないものとなっています。このときのことは「ツール 伝説の峠」で読んでね 汗)笑)

でも、そうか、このメルクスとテヴネの時から40年ということでこの登りが復活したんですかね? しかしなぜ40年? メルクスとテヴネ、それにジモンディなんかもゴール地点に集結するのかな?

そうそう、プラ・ループの前のアロス峠も戦前のツールでは、初登場の1911年以来、毎年出てくる峠だったんですが、戦後になってからはほとんど出てこなくなっちゃいました。調べると、最近では2000年に出てますが、これもこの1975年以来25年ぶりのことだったようです。下りがかなり危険な峠らしく、1975年の時はこの下りでビアンキの伴走車が崖から転落する事故があったんです。幸いにもたいしたことはなかったんですが、見ていた人は運転手達は絶対死んだと思ったそうです。

さて、今夜、みんなの目はフルームとニバリに集中するのでしょうけど、面白そうなフランス人達にも注目ですね。そして拙ブログとしては、そうした強豪たちに混じって、ネルツがどのぐらいできるのか、これが一番の注目点です。バルデとネルツが逃げて独仏二枚目対決なんてね 苦笑)

さて、ジロの後続けてこのドゥフィネに参戦した拙ブログ注目のジーモン・ゲシュケ、昨日のステージ未出走でした。疲労のためだそうですが、この後しばらくはお休みで、もしキッテルが間に合わなければ、ツールに出場する可能性が高そうな気がするけど。。。



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comment

CYPRESS
>でも、スポーツの階層の件は、自転車が最下層で、、

そう、労働者階級のスポーツです。
フランドルでロードレースが盛んなのは、まぁ、そういう事です(笑)。
第一次大戦のベルギー陸軍では、歩兵がフランドル人、将校がワロンヌ人、とういう図式が一般的だったとか。
ドーピングでロードレースだけが槍玉に上がるのも、そういう理由としか考えられません。

メルクスと同じベルギー人のポール・フレール。
元F1ドライバーでカーグラフィック誌によく寄稿してました。
この方の父上、ベルギー銀行の総裁だったとか。
金持ち、高学歴の白人はロードレースなんか、見てもやらんようです。
この図式を変えたのがグレッグ・レモン筆頭のアメリカ人。
アメリカじゃロードレースは富裕層のスポーツ。
大卒なのにロードレースやるなんて、30年前のヨーロッパ人はどう思ったんでしょうか?
かのエリック・ハイデンは現在スポーツの整形外科医であります。
1986年のツールを完走したかったのは、同年、ウィスコンシン大のメッド・スクールに入学するため翌年以降は参加不可能だったから。
2015.06.20 19:37
artuto
アンコウ様・
  時間が取れず、申し訳ありません。
 でも、スポーツの階層の件は、自転車が最下層で、、と、この辺は過去に何度もロラン・バルトに登場して貰っているので、この辺は省略出来そうです。
  (興味のおありの方は検索してください、状態!?)
2015.06.18 12:24
CYPRESS
この給与の話はArturoさんに期待してるんですが(笑)。

メルクスが1975年のツールを結局完走した事。
チームメイトへのお金と言う面だけでなく、勝負に対する「執念」を凄く感じるんですね。
最近日本語でよく見聞きする「こだわり」ではなく、「執念」ですよ。
最終区間のゴールラインを通過するまでは絶対勝負を諦めない「執念」。
「妄執」と言った方がより近いかもしれません。
プラ・ループの登りで力尽きたのはハンガーノックのためで、体調不良とかビュイ・ド・ドームで殴られた影響があったとしても、
主因ではなし。
だからプラ・ループが終わった時点では、まだやる気もあったし、諦めてもいなかったでしょう。
ところが、その後、落車、頬骨骨折、食事をするのも難儀。
冷静に考えれば、この時点で棄権し、骨折の治療、休養、そして地元ベルギーでの世界戦への準備となったはず。

(クリテリウムの招待も多かったはずで、頼まれると嫌とは言えないメルクスなんで少々疲れていてもあちこち行っちゃったんでしょう。現金収入にもなるしね)

ツールでの恨み(笑)を世界チャンピオンになれば少しは晴らせるし、世界戦2連覇は1970年代は誰も達成せず。
更に十分休養し、念入りに準備すれば2年連続アルカンシェルを着てツールに出場、優勝の可能性も大。
1976年はまだイノーが実力を発揮する前で、グランツールではやはりテブネとメルクスが大本命。

メルクスの負けず嫌いは引退後もよく聞き、この負けず嫌いとチームメイト思いのおかげで、選手時代の終盤を棒に振ったと思えるのです。
まぁ、そこがメルクスらしいとも言えるんですが。

その20年後、日本でサッカーJリーグが始まり白人選手とブラジル人選手が多数来日すると、
負けず嫌いの強さと勝負への妄執は一流選手には一般的な事と経験するのでした(笑)。
2015.06.14 18:36
アンコウ
CYPRESS さん、

賃金の話は、大昔のものだと、けっこうたくさん情報がありますが、問題はその当時、その額はどのぐらいだったのかということでしょう。バイシクルクラブの創刊号からすぐのころに、レモンのインタビューがあって、そこでツールの優勝賞金が700万だと言っていたような記憶があります。むろんこの額をチーム関係者みんなで分けたわけです。分け方も、昔はひどいものだったみたいですけどね。ただ、80年代前半の700万て、どのぐらいのものだったのかなぁ? こういう時の基準って公務員の給与というのがあるんですが、80年代前半のフランスの公務員はどのぐらいの年収だったのでしょう? 他にも市川選手のインタビューで、個人でマッサージを受けに行くなんて、そんな給料をもらっていない、という台詞がありました。

メルクスの時代の800万ってベルギーではどんな額だったんでしょうね。ただ、他にもこの時代の話は、自転車選手残酷物語はたくさん伝わっていますが、スポーツ選手が高額所得者になったのはアメリカンスポーツの影響でしょうね。あれはあれで、どうかと思うけどね。昔はサッカーだってそれほど稼ぎは良くなかっただろうと思うけど。。。

テニスはあれはちょっと別の階層のスポーツだから比べられないでしょう。
2015.06.13 21:43
CYPRESS
1975年のツールをメルクスが棄権しなかった理由は、どのインタビュー記事でも「チームメイトのため。賞金や副賞が必要だった」と書いてあります。
当時の選手の給料を調べても書いてない、読んだことない、目にしたこと無し(涙)。
メルクス自身も話したことないですね。
それでも、あちこち噂の様な話があり、総合的に判断すると、
メルクスの収入は日本円で、あくまで参考値ですが、どうやら¥10,000,000に届いてなかったのは間違いないようです。
¥8,000,000位しかなかった様です。
メルクスブランドで自転車売っても大した権利金が入って無かったようです。
この辺がカトリック勢力が強い地域故なんでしょうか?
あれだけの活躍をし、カンパの売り上げに多大な貢献をしているのに、しかも、ヨーロッパ中心とは言え国際的なプロスポーツであるのにこの低さ(@_@)。
また、メルクスの収入は突出していたのも間違い無い様です。
その他の選手の収入は、自転車完成車1台とジャージ2枚しかくれない新人のプロ契約も極一般的だったので、工場勤務と変わらん(@_@)。
違いと言えば、タダであちこち海外へ行けることくらいか(笑)。

チームからの給料で思い出すのが、フィル・アンダーソンがTiラレーにいた頃、監督のペーター・ポストに賃上げ要求したら「そんなに金が欲しいならテニスをやれ」と言われた事。

放送権料を主催者が全額手にするロードレース界ですから、まぁ、こんなもんなんでしょう。

2015.06.13 13:52
アンコウ
Arturo さん、

へいへい、気が向いたときにどうぞ。
2015.06.12 23:31
Arturo
すみません。
  このネタ、僕も登場したいのですが、今ネタを書く時間がありません。又にします!!。





2015.06.12 14:53
アンコウ
CYPRESSさん、

やっぱり来ましたね 笑) ピュイ・ド・ドームでパンチを食らうシーンはメルクスのDVDにありますよ。それから、何で見たのか、ゴールした後、メルクスが戻っていって、殴った観客を突きとめて脅しているシーンも、同じDVDだったか、なにかの番組だったかにありました。殴ったのはハンチングをかぶった初老の痩せたみすぼらしいオヤジで、俺じゃないとしらを切っていました 笑) ほお骨骨折はパレード走行中だから、その落車シーンの映像はあるのかなぁ? 75年はメルクスにとって踏んだり蹴ったりで、メルクスのDVDの最後のシーンでも、最大の後悔は?と聞かれて75年にリタイアしなかったこと、と笑いながら答えるシーンがあります。
2015.06.12 01:47
CYPRESS
1975年ツールのプラ・ループの登り、Youtubeにあり。
メルクスがいなくてアナウンサーが少々混乱していて、事の重大さがよく分かります。
1975年のツールは総集編が放送されました。
たしか、TBSだったはずです。
放送されたのは1975年だったか、1976年だったか、ん~、覚えてない(笑)。
その後ヴィデオを観る機会があり、記憶通りメルクスが
ピュイ・ド・ドームで殴られる所、
プラ・ループで千切れる所、
落車で頬骨を骨折する所、
無かったです。

そう言えば初めてロードレースを観たのがこの放送でしたなぁ(遠い目)(笑)。
2015.06.12 00:39

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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