「あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためです。」
これまで2,3回触れたことがある
植草一秀さんのブログで教えてもらったガンジーの言葉だ。
この文章を読んで、
先日書いたファラダの「ベルリンに一人死す」のことを連想した。
主人公たち(実際に小説と同じことをして処刑されたハンペル夫妻がモデル)が行ったことは、結果的には「ほとんど無意味だ」った。でも彼らは、自分たちがやったことが無意味だったことを知らされた後でも、「それをやらなければならな」かったと確信しているのである。読んでからかなりたったんだけど、それでもまだこの小説が心に引っかかっている。
主人公たちの行為をただの自己満足ではないか、とシニカルに評する人もいるかもしれない。特に主人公たちがやった抵抗は単にナチスに反対する文言の書かれた一、二枚の葉書を、こそこそとビルの踊り場などに置いてくるだけだったのだから。さらに彼らのやったことに巻き込まれた無関係の人間が悲惨な死を迎えなければならなかったのだから。精神の自由なんて言っても、そんな抽象的でつかみ所のない言葉に説得力などない、と言う人もいるかもしれない。
だけど、ガンジーの言葉はもう少し具体的にこの主人公たちの行為を補足説明してくれるように感じる。つまり、たしかにファラダの小説の主人公たちにはナチスの支配する「世界を変える」ことはできなかった。でも彼らはナチスの支配する世界によって自分自身を変えて、ナチスに黙って同意し、自らの精神を売り渡して生き続けることを拒否した。
もちろん、今の日本はナチスの時代のように言論の自由は認められず、権力批判をすれば即刻死刑になり、密告が奨励されるようなひどい国ではないけど、それでも「従っていればいいんだ。考えることは総統がやってくれる」(p.185)と考えている国民が増えていることは、選挙の投票率などを見れば間違いない。
圧倒的な時代の流れの中で、個人の力など無に等しい。しかし、ここでもういちど冒頭のガンジーの言葉を引用したい。
「あなたの行う行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。それはあなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためです。」

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