これほど魅力的で圧倒されたのに、筋がまるでわからなかった映画も珍しい。白黒でリリカルでありながら、描かれているのは泥や血や肥だめ、糞尿、死体、はては内臓。登場人物はやたらと鼻を啜り痰を吐き、つばを飛ばし嘔吐し、血を吹き出す。そこいらに転がっているがらくたなどのオブジェも、室内でぶら下がっているものも、絞首刑になってつり下がっている死体も、その他の動物の死骸も、生きている男も女も、泥やら得体の知れない液体を体中にまとわせ、食べているものまでかなり気持ちがわるい。カラーだったらみんな映画館から出てしまうだろう。顔にぬったくられている泥のせいで誰が誰だか判別が付かず、最後まで意味が分からなかった。なのにこれだけ画面に魅了された映画も記憶にない。
一応上のトレーラーの解説にもあるようにSF映画で、泥などの不潔感を除けば、宮崎駿の「ナウシカ」実写版みたいなメカメカしたところや装束もある。
監督はアレクセイ・ゲルマンといい、この人の「道中の点検」というソ連時代に上映禁止になった映画を、ぼくは80年代後半(ペレストロイカで解禁されて)300人劇場で見ている。この映画、15年も上映禁止だったというので、どれだけ凄いことをやっているのかと思ったら、独ソ戦線でドイツ軍の捕虜になり、スパイになってソ連軍にもどって、やっぱりスパイをやめてソ連軍のために戦うという男の話で、ごく普通の戦争映画だったので拍子抜けした記憶がある。
DVD,現時点(2015年3月24日)ではまだ予約中ですね。きっとこの映画の公開に合わせたんでしょうね。
ただこの「道中の点検」でもそうだったが、今回も長いカットが多い。その長さはちょっと緊張感があって疲れるほど。それと登場人物たちがカメラに向かってのぞき込んだり、手を振ったり、手に持っている物を見せたりする。主役たちがやりとりしているところへ、突然カメラの前をエキストラが横切る。しかも横切りながらこちらを見る。当然主役たちのやりとりはさえぎられて見えない。
最初カメラは主人公の視線なのかと思ったのだが、そうでないことはすぐに分かる。こういう実験的(でありながら、つまらなくはない)なやり方はロシア映画ではよく見る。例えばカネフスキーという監督の「動くな、死ね、甦れ」という映画のラストはあまりにぶっ飛んでいた。子供に死なれた親が狂乱状態になるのだが、監督の(?)声がカメラの外からかぶって、なんなんだ、これは?と思ったものだった。もっと穏健なところでも、カメラに向かって登場人物が話しかけてくるのなんて、たしかニキータ・ミハルコフの「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」でもあったような気がするし、タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」でもそれに近いシーンがあった。要するに画面の中だけで映画の世界が完結していないということなんだろうと思う。
きっともう一度見れば、もっといろんなことが分かるだろうと思うんだけど、もう一度3時間映画館に座っているほどヒマじゃないのが残念。これを お読みの方も、見る以上はそれなりの気合いを入れてからじゃないと、1800円無駄にします 笑) でも、気合いを入れて見れば、このぐちゃぐちゃでグロくて汚くて猥雑な叙情性を気に入る人もいるんじゃないでしょうか。 なんとなくうろ覚えだけど、ボードレールの詩に「腐肉」とかいう道端の死骸を描いた「美しい」詩があったはずで、そんなのを連想しました。
いずれにしても、やっぱりソヴィエト・ロシア映画は面白い!

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