前日の飲み過ぎがたたり、二日酔いの頭で、それでもがんばってかなり早めに昭和記念公園へ行ったと思うんですが、どうも記憶が曖昧な1987年11月22日。
控え室から出てきたクリケリオンの足がテラテラ光っていたのをはっきり覚えていますね。当時はまだ日本ではスタートオイルもマッサージオイルも売ってませんでしたから、話には聞いていたが、あんなにオイルを塗ったくるもんなんだ、と思った覚えがあります。
そのうち選手たちはバラバラにウォーミングアップを始めました。
これはおそらくヴァン・ポッペルですね。

デルガド様です。

こちらはモテ。この人は身体は小さいんだけど、顔が大きくてやたら存在感がありました。

ロッソーラと奥はヴァン・ポッペル。ロッソーラは観客が集まっている前でスタンディングをして、さらにそのままぴょんぴょん跳んでみせてやんやの喝采を浴びていました。いまならマウンテンの連中には簡単なことなんでしょうけど、当時はあんまり見たことがなかったので、うーん、すごいと思いましたね。

さらにヴァン・ポッペルとスプリントを常に争っていたボンテンピ。イタリア映画によく出てくるマッチョな、フランコ・ネロとかラフ・バローネとかみたいな男臭いタイプでした。

どの写真を見ても、ダブルレバーはもちろん、みんなハンドルの形状やブレーキブラケットの位置が今とは全然違いますね。ペダルはクリップストラップからビンディングへの移行期で、モテとかクリケリオンなんかはビンディングだったようですが、ブロェーキンクやモゼール、それに市川選手もクリップストラップです。
選手たちの自転車です。ハンドルステムの突き出しの長いこと!クリケリオンのオレンジのロッシンなんて14cmぐらいあるんじゃないのって感じでしたね。

コースは一周2キロぐらいの周回コースで、当時は昭和記念公園は北側の方がまだ造成中だったと思います。
最初は招待選手だけでミス・アンド・アウト。このとき始めて見たレースでしたが、なかなかおもしろいレースでした。各周回でビリだった選手一人が抜けていき、10人程度が残ったところで最後の一周。一番でゴールした人が優勝というシステムです。その後、90年の世界戦で公開競技としてやられたのを見ましたが、このときは最後の二人になるまで周回していましたが、こちらは前橋のバンクでしたから、周回距離が短いやつでした。
選手たちはウォームアップもかねて、かなりゆっくり走ってくるのですが、集団の密集度は非常に狭く、ゴール前100メートルほどからスピードが上がるのですが、先頭の方を走っている選手たちは、意地悪でもするかのように、最後の方でわざとスピードを落とすように見えました。コースがそれほど広くないので、後ろの選手が詰まって、足があってもポジションが悪いと前に出られずそのままアウトになってしまうのですね。
ミス・アンド・アウトは写真も撮ってなかったようで、誰が勝ったかの記憶は全くなく、途中、市川選手がアウトになったときの観客のざわめきが記憶にある程度ですが、当時のサイスポの切り抜きを見ると、ボンテンピがモゼールのアシストで優勝したみたいです。
話はまだまだ続きますが、今日はこの辺で。
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