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拙ブログ記事へのあるつぶやき(金谷武洋に関して)

2010.06.22.20:52

まあね、こういうブログをやれば、いろんな人といろんな形で接触することになるだろうという予感はあったし、こちらも自転車レースだけでなく、どうしても政治的社会的なことも書くつもりだったし、自分の関心に基づいて読書メモや自己流料理の話も書きたかったから、いろいろな反論はむろん覚悟の上で書いているし、正面から反論のコメントをしてくださる方は大切にしたいと思っている。だけどぼくのあずかり知らぬところで憂さ晴らしのように呟かれるのはまっぴらである。もっとも、そんなのぼくの知らないところで呟かれたって、たいていはぼくが知ることはないんだろうけど...

だけど、きょう、ひょんなことから、ぼくのだいぶ前に書いた記事を取り上げてツィッターでこんな風に呟いている人がいることを知った。

-----以下引用

こういう文化(みたいなもの)と言語を(簡単に)結び付けたい人はよく金谷本にひっかかる印象がある。 http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-121.html 惨憺たるアンコウ 金谷武洋「日本語は亡びない」

引用終わり---

つぶやいたのは大学の若い先生らしいが、ぼくの記事にコメントをつけずに、仲間内のツィッターでこんなふうに呟いて憂さを晴らす。

みっともないと思う。

金谷の本が専門家の間で不評なのは聞いたことがある、特に生成文法(ってなに?)の専門家が特に批判しているらしいとは聞いたことがあるけど、ぼくは全くの門外漢なので金谷の本を正面から、素人にも分かるように批判したものを読んだことがない。金谷もその本の中で反論を期待すると言っているのに、残念ながら反論本は聞いたことがない。ネットを検索すればあるのかもしれないけど、だったら、そのアドレスをコメントして欲しいものだ。これでは金谷に対する嫉妬以外何も感じられない。実際ぼくの最初に感じた印象は上記の「みっともない」だった。

そもそも、この方が専門の学問でどういう業績を上げているのか、ぼくは知らないし興味もない。あたりまえだ、興味もないことに興味を持つほど暇人ではない。ただ、金谷の本は圧倒的なおもしろさがあった。それをぼくは書いたつもりだ。ところがこの方はぼくが「ひっかかった」という(この見下ろすような物言いのなんとすばらしいこと!)。さらにはぼくに安直に日本語と文化(のようなもの)をくっつけたがる奴だとレッテルを貼る。ぼくはチョウチョじゃないからかってにレッテルを貼らないで欲しい。

だが学問って、文化や社会、言葉を変えれば生身の人間の生とつながらないところでやっていたら単なるオタクだろうと思う。ま、これもあまりに安直な断定だけどね。

上記のつぶやきをした方がこの記事を読む可能性はあまりないだろうけど、こういうことを書かれたことを知ってしまった以上、やはり書いておきたい。上記のツィッターに登録して抗議しようかとも思ったけど、わざわざ直接けんかを売りに行くのもどうかと思うので、ここで間接的に抗議しておく。もし、この方がこの記事を読んで何らかの反応をしてくだされば、あとはそれからの話だろう。

今回はマルティンの日記を読みに来ていただいたのに、個人的な鬱憤にお付き合いしてくださり、誠に申し訳ありませんでした m(__)m どうやらマルティンの最終日の日記はなしのようです。


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comment

ヴァルデマール
CYPRESS さん、

まあね、ツィッターの件は、実はわたしの本名の方で反日だか非国民だかのレッテルを貼られていてね。わたしはあらゆる差別に反対するという立場から署名したものが、なぜかネット上で流れていて、それに関連するネトウヨの書きぶりがまさにあのような揶揄するような書き方だったんでね。ブチンと切れたわけ。むろんあのつぶやいた人がそのレッテルを貼ったネトウヨではないのはわかっているんだけどね。

参考になりましたかと言うことですが、まったく参考になりません 笑)
2010.07.03 20:46
CYPRESS
ツィッターは字数が160(?)に制限されているので、引用元や参考先を書いただけで一杯になりそう。
批判には不向きでしょう。ネットの最大の利点は、印刷物と違い字数無制限にあると思ってます。
「ツィッター」と言う言葉が「罵詈雑言誹謗中傷」の婉曲表現になるのも遠くないと信じています。

インドヨーロッパ語族の主語と目的語の話、中々興味深く楽しい。
素人の英語好きからも一言。

確かに英語では主語を省略しません。曖昧のものには“it”なんて言う何を示しているのかよく分からん言葉を使います。時間と空気(と距離他)という全くの別物を表わすものが“it”なんですからなぁ。
英会話を学校で習わない日本人が気付きにくい点があります。
書き言葉と話し言葉に違いがある点です。
例:
“I love it”
間違いなく主語と目的語があります。
しかし、実際にこれを言う時は“love”の“o”を強く発音し、残りは弱い。
「あい ラーびっと」
(=大好き、めっちゃ好きやねん)
主語と目的語が存在してますが、存在感は弱く、主人公は動詞になります。

また自動詞でも、
“It’s amazing”
「いっつ あメイずぃんぐ」
(=すごーい)
と主語ではなく補語(この場合は形容詞)を強く発音し強調します。
(→この例の場合、主語と動詞が無くても可能。特に会話の場合。)

勿論強調したい事柄が変われば、強く発音する語が変わり意味も変わってきます。

この例で分かると思いますが、主語の存在は盤石ですが、重要性は不変ではなく伝えたい内容により変わり(=発音の強弱がある)、場合によっては無くても可能です。

参考になりましたかな?

オマケ:
“Buono”の英語版は“yum-yum”かな。
2010.07.03 03:40
ヴァルデマール
Gustav Maderna さん、

コメントをありがとうございました。なるほど。たしかに言語の構造から安易になんらかの国民性とか文化的な事象を引き出そうとするのは、きっとかなり無理があるのでしょう。

ただ、素人考えなんですが、ふと思いました。主語の省略っていうのは主語がないわけではないですね。主語と動詞が連動しているというのが西洋語の特徴だろうと思うのですが、主語が明示されないにしても、動詞は形になっていない主語を想定して人称変化するのでしょう?

つまり、主語が文の中に現れているかどうかではなく、文を作るときに主語を想定するかしないかということではないかなぁ、と。。。いや、完全に素人考えですが。。。。主語そのものではなく、主語を想定する思考方法(たとえば he だから is にしなくちゃ)というところがポイントではないかと。。。

ただ、だからといって、キリスト教文化とか好戦的傾向にまでつなげるのは、たしかに無理があるかも知れませんね。

でも、主語を立てて客観視するというのか、なんというのか、うまく言えませんが、それがキリスト教的なものと親和性が強いのではないかなという気はします。キリスト教があるから主語があるという意味ではなくてね。

好戦的、排他的うんぬんは私の、そうであってほしいなという気持ちです。むしろ言いたいのは石原批判にほかなりませぬ 笑)

しかし、あのつぶやいた人も、そういうことを言いたかったんだろうけどねぇ。ちょっとあんな書き方されたんで、こちらも大人げなくなりました 笑)

いや、勉強になりました。今後ともよろしくお願いします。
2010.07.02 08:15
Gustav Maderna
訂正。イタリア語の「おいしい」は「Buono!」です。「Bouno!」ではありません。oとuを打ち間違えました。すみません。orz
2010.07.02 02:06
Gustav Maderna
始めまして。時々ですが楽しく拝見させて頂いております。
それにしても、大学の先生か何か知りませんが随分失礼な学者さんですね。
この問題について、私もちょっと考える所があったので僭越ながら意見を述べさせてください。

一口に「西洋語」といっても色々な言語がありますが、例えばイタリア語やスペイン語ではやはり主語は省略される傾向にあります。英語で「I love you」というところをイタリア語なら「ti amo」スペイン語なら「te amo」ですが、これは「あなたを愛しています」という意味で、「私は」に相当する部分はありません。
おいしいものを食べた時、イタリア語なら「Bouno!(おいしい!)」の一言であって「This is good!」とか「I like it !」みたいな言い方はしません。
ロシア語のようなスラヴ語派言語でも主語は省略される傾向にあるそうです。
そこで、調べて見ると次のような記述もありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%AA%9E#.E4.B8.BB.E8.AA.9E.E3.81.AE.E7.9C.81.E7.95.A5
これによれば、主語を絶対に省略しないのはゲルマン語派と、地理的にゲルマン民族との交流の多かった?と思われるフランス語、スイスの一部地域でのみ話されるロマンシュ語のみのようです。
ローマ・カトリックの公用語であるラテン語が日本語と同様、主語だけだなく目的語さえ省略される「プロ脱落言語」であり、そもそもキリスト教の発祥が小アジアであることを考えると、
西洋語→主語絶対→キリスト教的思考
は論理的に成立し難いのではないかとも思います…。主語絶対はゲルマン民族固有の思考なのかもしれません。(?)

金谷さんはたまたま英語と仏語に堪能であったためか、この二つを例に挙げるようですが、南欧の言語やスラヴ系言語を挙げないのはそれらについて知らないのか、知っていてもあえて触れないのかはわかりません。
イタリア語やラテン語で主語が省略されるのは動詞の活用を見れば主語が判るから、というのも一つの理由ですが、それに対してはこんな見解もあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1415095264?fr=rcmd_chie_detail

また主語を絶対に省略しないドイツも、主語省略のイタリアも日本も第二次大戦中はファシズム・軍国主義である点を考えると
主語省略→平和的思考
も成立し難いかな、と感じざるを得ません。

ただ、イタリアは戦後もムッソリーニの子孫やファシスタ党の後継政党がそれなりに活動していたことなど、戦後処理が曖昧な点は日本と似ていますね。主語を省略する民族はものごとを曖昧なままにして誤魔化す、と言えるのかもしれません…?

という訳で個人的見解と駄文、失礼致しました。
2010.07.02 01:57

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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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