映画館で見たかったのだけど見損なった映画。数日前にスカパーで見た。
昔、小栗康平の映画に「伽倻子のために」というイ・フェソン(李恢成)の原作を映画化したものがあった。南果歩のデビュー作で、先日なくなった蟹江敬三が深夜の水道管を検査する男で出ていた。そのラスト近くで、凍結した日本海を韓服を着た老若男女が歩いて渡っていくシーンがあった。北朝鮮への帰国事業を暗示したんだと思う。1960年代から70年代にかけて、北朝鮮を理想郷と信じて帰った人たちが9万人もいたそうだ。
ベルリンの壁で、東ドイツの人たちはみんな西ドイツへ逃げたがっていたと思うかもしれないけど、サッカー映画「ベルンの奇蹟」でも、主人公の少年の兄は西から東へ行ったように、共産主義・社会主義の国を地上の楽園と信じた人たちは、今僕らが考えるよりもはるかにたくさんいた。一旦渡ってしまった以上、戻ることはまずほとんどありえなかったのは、朝鮮もドイツも同じだ。
この映画では、父親が朝鮮総連のお偉いさんなので、息子が15になったら、おそらく親類を頼って、北へ帰国させたわけである。その息子ソンホが25年振りに日本に戻って来れたのは、悪性の脳腫瘍が見つかり、ピョンヤンの病院では治療ができないので、3カ月だけ日本に戻って治療を受けるためだった。ただし、むろん一人で帰るわけではなく、ヤン同志と呼ばれる見張り付きである。
映画は手持ちカメラの、しかも焦点距離が長いんだろうか、背景が極端にボケ気味になって、ピントが合っている人物だけが浮き上がるような不思議な映像になり、しかも、そのカメラが素人のビデオ撮影のように、やたらと揺れる。ワンシーンをほとんどワンカットで、なにかドキュメンタリーのような雰囲気がある。役者たちも宮崎美子以外は演技らしい演技をあまりしない。特に安藤サクラはすごい。宮崎美子は大好きなんだけど、この映画に関するかぎりはちょっと演技しすぎかなぁ。そもそもちょっと可愛すぎるしね。
映画の舞台の時代も巧妙に考え出されている。1997年。拉致問題も知らなかったし、まだほとんどの日本人は北朝鮮という国を意識していなかった時代だ。
この映画を見終わって考えるのは、国って何だ?ってことだ。この映画に描かれた人たちのように、国のせいでソンホは治療を受けられず、父母や妹と別れなければならない。父は理想の国と信じた北へ息子を送り出し、結果的には息子を死なせてしまうのかもしれない。見張りのヤン同志も国の命令によって家族に張り付き、安藤サクラの罵声を浴びる。
国という得体の知れない大きな共同体に対して、家族というのは最小の共同体だ。今の世の中、巨大でなんだかわけのわからない国というものを背負ったかのような物言いをする人が多すぎる。いかに国を論じたところで、自分の足許の共同体を忘れたら何にもならない。

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