森達也の本は、拙ブログでは何度か書いた。僕と同じ年だし(学年的には僕が一つ上)、この人の言っていること、ほとんどすべてに僕は同意できる。
ただ、一つだけ、この人はどこかで何ものかがこの社会を操っているという謀略史観を徹底的に否定している。社会が暴走するのは、どこかにいるだれかの悪意ではなく、集団化だと言う。過剰な忖度(そんたく)だと言う(今朝の東京新聞にも記事になっていたが、この過剰な忖度によって都美術館から「政治的」作品の撤去が求められた)。
ただ、僕はそこに一抹の不安がないわけでもない。もし仮に、人々の無意識の集団化が、現代の社会をこれだけ息苦しいものにしたのなら、誰かの作為がそこにないのなら、逆に人類には救いがないのではないか? そんな不安を感じる。
この本ではわかりやすく森のこれまでの主張が繰り返されている。そんななかで、ノルウェーの大量殺人事件についての話が秀逸である。
この事件については拙ブログでも触れた。77人を殺害した犯人は懲役21年の刑が確定したそうである。
これに対して、一部日本のマスコミは、ノルウェーでも死刑復活か、と煽り記事を出したりしたが、これはやっぱりかなり作為的な記事だった。そして、この事件のその後については、日本のマスコミはほとんど報じていない。ただ、
朝日新聞が事件から1年後のノルウェーの人々の感想を記事にしていて、これについても、拙ブログでは触れたことがあった。この森の文章を読んでも、このとき書いたのと同じように、彼我の差を強く感じさせられ、我が日本という国の現状に暗澹たる思いがする。
著者の森達也は前回の
長い題名の本の最後に、今後スタイルを変えると宣言していた。今回の序文でも同様に書くことはやめないけど、同じことを言っている。まさか小説家になろうというのではないだろうね?
今の時代、森のような人間が、王様は裸ん坊だ!と言い続けてくれないといけないと、拙ブログで書いたは2年前のちょうど今頃のことだった。時間はほんの少し進んだだけだ。なのに、森はすでにもう半分諦めたかのような書きぶりである。たのむよ、まだまだ、このスタイルを続けて欲しいし、今の社会はそれを必要としているんだと思うよ。

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