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再び、無教養な人たち

2014.01.05.17:38

「小学生がサッカーをプレーすると、ボールの周りにばかり人が集まるが、昔も今も人は球に吸い寄せられる習性をもっている。(中略)ボールに近寄らず、自分の持ち場を守るには、教養が必要なのだ。」(生島淳 「スポーツのルールはなぜ不公平か」25ページ)

以前にもこの文章は拙ブログで引用したことがある。生島淳さんはそういうつもりで書いたわけではないと思うんだけど、ぼくには、まさに今の日本の状態をピッタリ言い表した文章のように思える。

まるでみんなが当事者になったかのようにボールに向かってまっしぐら、ゲームの展開など何も考えないで、みんながボールに蹴りを入れることだけに一生懸命なのが今の日本の社会だ。

たとえば、ツィッターである議員さんが映画「永遠の0」を見て、感動して、みんなで靖国へ行くべきだと思った、なんて書いちゃう。これって、この議員さんに、もともと靖国へ行くべきだという政治的な考えがあって、そのためにこの映画を利用したのならただの煽りにすぎないが、この議員さんがもともと靖国なんかあまり感心がなく、この映画を見て初めて、本心からこう言ったのだとしたら、これこそ上記の考え方で言うところの「無教養」というやつだ。

映画の主人公に感情移入するのは当然だろう。妻との生活だけを夢見て、生き残ろうとしたのに、結局特攻隊として死ななければならなかった(ほんとうにそういう若者がたくさんいたはずである)若者を憐れと思うのは当たり前だ。しかし、彼らを慰霊するための正しい態度は、戦死を美化する宗教団体の靖国神社へ行くことなのか?

これって以前書いた本村さんの言葉に通じるものがあると思う。「どうすれば死刑という残虐で残酷な刑が下されない社会にできるか。それを考える契機にならなければ、わたしの妻と娘、そして被告人も犬死にです」 

ちょっと文言をかえればこうなる。どうすれば戦争なんかで死ぬ者がでない世の中にできるか。それを考える契機にならなければ、特攻隊で死んだ若者たちも犬死にです。

そもそも彼らがどうしてあんな十死ゼロ生の馬鹿な作戦の犠牲者にならなければならなかったのか、あるいはあんな馬鹿な作戦を考え出したクソ参謀たちは、その後どうしたのか、そうしたことに思いをいたさないのは、無教養だといって間違いではない。

「国」が始めた負け戦、クソ参謀の思いつきで殺された若者たちを、「国」が靖国で神様として祀る。この構図をグロテスクと思わないとしたらどうかしている。そう思わないだろうか?

特攻隊についてはかつて拙ブログでもこんな記事を書いています。興味とお暇がありましたら。西川吉光「特攻と日本人の戦争」



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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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